社会システムの不具合

FullSizeRender-2 昨日はノーベル物理学賞の発表があった。日本人関係者3名の受賞。まことに喜ばしい。別段、私が彼らに何か奉仕していたこともないので、単なるミーハー的歓喜だが・・・。

それを報道で見るにつけて思うことは、御岳噴火の救助だ。
噴火依頼日本は国民いちがんとなり、被災者の家族に同情し、いち早い救出発見を期待した。世論が後押しとなり(?)、家族がある自衛隊員・警察・消防は噴火最中の御岳山頂に降り立ち、救助を行った(それをした28日の映像を朝一で見た私は信じられなかった)。そして、はやく救助・発見してくれと当然のようにいう家族の映像を流し(私は、発見しようと捜索する自衛隊員・警察・消防にも家族がいることを考えると、彼らに噴火の現場にいって救出せよと当然の権利のようにいう家族の心情は可怪しいとおもっていはいたが・・・)、日本中もそれに共感した。
そんな世論があるので、自衛隊・警察・消防も決死の覚悟で現場に行く。

ところが、どうだ。ノーベル賞。日本人受賞のニュースでもちきりで、御岳のニュースは片隅に追いやられている。

私は、御岳被災者の家族のことを思うと切ない。これまでは、自分に向いていた視線が、一気に別方向へ。被災者の家族にとってのノーベル賞と、被災者関係者以外のノーベル賞の意味合いは大いに違う。
報道の報道の使用は可怪しい!!!!!!

しかし、報道機関が可怪しいのではないと思う。
社会を動かす報道のシステムやそのあり方が可怪しいのだと思う。

いま、社会はその運営のありかた(議会制民主主義だとか、多数決だとか、経済至上主義だとか・・・)が、社会を取り巻く環境に合っていないのでは。
まるで、舗装されたサーキットが登場したのに、いまだにレーサーは自転車で競技をしているような・・・。つまり、インフラの発展に運用システムがついてきていないのでは?

私の職場でも今日の午後写真のような報道車がきていた。ノーベル賞の可能性のある先生がいるからだ(ここ3年位そんな毎年を送っている)。なんだか、報道(テレビ・マスコミ・雑誌など)が社会のありかたにマッチしていないのでは・・・。

現代林業で10月号、11月号と私の文章が載るが(10月はインタビュウーなおで、いささか私の思想とはことなるが・・・)、11月号も編集部のいとで若干内容は私の主張と違うが・・・・。

ともかく、最近世の中を運用するシステムが時代遅れすぎるように思う。

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