3月16日の午前6時半に職場を出て、職場の特殊車両を運転し、仙台に行ってきた(15時半くらいに到着)。昨年とほぼ同時期の東日本被災地を撮影し、復興状況を記録するためだ。
東北被災地は、これで三回目になる。一回目は2011年9月。石巻専修大学の先生のご案内によって訪問した。二回目は昨年の3月11日、一回目と同じ所+松島から石巻の沿岸部、大川小学校から南三陸町の沿岸部だ。今回は、それらに加え、南三陸町から陸前高田まで足を伸ばした。
職場から仙台、仙台から石巻、そして陸前高田と走り仙台に戻りフェリーで搬送(人は新幹線で帰り、車だけ送る)。2日間の総走行距離1100キロ。私が一人で運転したことになる。
陸前高田は驚いた。
嵩上げのためのベルトコンベヤーが縦横無尽に走り、無人の陸前高田にピラミッドの基礎のようなものがあっちにもこっちにも。
嵩上げは、昨年の撮影のときから私には疑問符だった。今回は更にそれを強く思った。
すこし、嵩上げに至る住民集会の記録などをあたってみようかと思う。
私は漁などのために海の近くにいたいということなら、自宅と仕事場を切り分け、嵩上げせず番屋ですまし、家族は高台に暮らすのがいいのではと思うのだが・・・。大川小学校の慰霊碑に地域のなくなった方の年齢があった。ほとんど高齢者と幼児。まれに中高生。20代、30代、40代の方は僅少だ。自宅にいた人が犠牲になったようなので、自宅は安全なところに建てたほうがいいのでは・・・。と思う。