今日、車で運転中の出来事。
自車の前に、宮城ナンバーのダンプ。後ろには、札幌ナンバーのダンプ。
この季節に北国のナンバーのダンプをみると思い出すことがある。
いまから25年前の今頃、私は大学最後の春休みの旅として、初めての海外旅行を計画していた。卒論で、タイの森林面積と経済発展との関係を分析する過程で、タイに関する本を多く読んだ。行ったことないのに、行った気がするほどタイを知った、つもりになっていた。百聞は一見にしかず。そんなわけで、大学最後の休みにはタイに行くことを思い立った。
先立つ物はお金だ。
卒業最後の年で留年した私は、余裕を持って卒論ができていた。(夏にはほぼ終わっていた)
正月挟んだ冬休みには、大学にいく必要もなかったので、冬休み中のバイトを探した。その結果、ちょうど建設中だった碧南火力発電所の資材かたずけなどの仕事にありついた。
昼休みや休憩時間、プレハブ小屋で一緒に働く人たちの会話がいまも耳に残っている。
「秋田に帰ったってやることはないので、もどらんでもいいのだけど、孫が会いたいっていってるので正月に帰る」という老夫婦。彼らは秋田県男鹿半島からの期間労働者。冬場の出稼ぎは、彼らにとって、当たり前のようだ。毎年、この工務店に冬場出稼ぎにきているらしい。もうそんな生活を何十年もしているとのこと。
大学生だった私は、孫がいるくらいの高齢になっても、生まれ故郷を離れて、工務店の飯場で寝起きし、働きに出なければならない状況を気の毒に思った。しかし、年をとったいまでは、働ける場所や体があるということは、幸せなことだと理解できるようになった。いまでも秋田の男鹿半島では、出稼ぎが続いているのだろうか…?私が大学生だったころから随分と時間が経っている。いまでは経済活動などもかつてとくらべ活発になり、さまざまな仕事ができている。
あの老夫婦・・・まだ存命なのかな・・・。今年も冬に人の大移動があるのかな・・・。
どちらも可能性は低いことだと思うが、北国ナンバーのダンプを見るたびに、雪がちらつく25年前の工事現場のあの一コマを思い出す。