月別アーカイブ: 2016年3月

愛媛から帰還

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月曜日の9時に小牧を出て、愛媛についたのは4時前。
いつも恒例になった瀬戸大橋のサービスエリアでうどんを食べていたので、若干遅くなった。
いつも殿のお宅におじゃますると、冬でもベランダにこしらえたファンヒーターのこたつ(食卓テーブルに毛布をかぶせ、足を入れる空間にファンヒーターを入れていた)で本など読んでいた先生だったが、今年は薪ストーブを焚きっぱなしだとのことだ。年取って寒く感じるようになったとのこと。やっと凡人の肌感覚になったようだ。

さておき、火曜日に久万高原町で打合せがあり、集合時間まで時間があったので、道路から見える範囲で山を見て回った。年間20万立法の素材生産量があるこの町。スギ・ヒノキの混植も特徴的だが、ヒノキの間伐が行き届いているのも特徴的だ。普通、あんなに一本一本がはっきりしていない。
珍しい風景の町だ。
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愛媛行

明日・明後日と愛媛に行く。
タイトなスケジュールなので、車で・・・。

昨日は、95年5月に亡くなった兄の誕生日。
その年の兄の誕生日の次の日は、地下鉄サリン事件。
毎年この時期、沈丁花の花のにおいを感じるたびに、いろいろな季節の思い出が蘇る。
だから、記憶は霞むことなく・・・、つい昨日のようだ。
そんな調子で、兄から引き継いだ車も22年目を迎えるが、まだ最近乗り継いだ感がある。

順調に愛媛往復出来ますように!

来年度、これまで色々仕込んできたものが、首尾よくいけば・・・。
山小屋どころでなくなってしまうかもしれない。

天皇制の不思議

今日、ニュースで天皇の被災地訪問の話があった。

天皇というのは本当に不思議な存在だ(よい意味で)。
どんなに辛い境遇の人も、天皇が訪問してくれるだけで、また明日から前向きに頑張れる。
最近では、ペリリュー島でもそう。

例えば、オバマ大統領が苦難に満ちた地を訪問したら、おそらく人々は「ああしてほしい」「こうしてほしい」などの要求がでて終わり(その分、総理大臣が現地入りするのと同等)。

しかし、天皇は違う。おそらく誰も何も要求しない(もちろん、なんの権限もないから当然)。それにもまして、人々は癒やされる。涙を流して感謝する。これまでの全ての苦労も訪問で報われ、前向きに生きていける。

素敵なことだと思う。

竹庵 竹にチャレンジ

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これから正味2年、竹との戦いがスタート。
ある街の竹の分布と資源量(バイオマス量)を計測することにチャレンジする。
果たして、どうやったらいいのだろう。
スギ・ヒノキはキッカリと分かったが、竹の場合は・・・。どうしたらいいのだろう。
とりあえず、測りまくるしかないか・・・。

物置ゲット

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職場の私の部屋も随分手狭になってきた。書類・・・、ドローン関連のパーツ、PC関連・・・、山林調査道具。そんな中、特に気になるのは、ドロがついていたり、車の積み下ろしがあったりする山林調査道具。部屋のスペースをある一定量占有することに加え、不便さをも感じている。

先日、職場の私のいる棟のとなりに物置が不自然に長いこと放置されていることが気になった。

職場の建物管理の部署に問い合わせたら、廃棄待の品だとのこと。
そこで、「下さい」とお願いした所、どうぞ ということでもらえた。

今日、午後に分解して移動して・・・という作業をしてきた。
説明書もないので、分解・組み立てでできるかと思ったが、なんとか出来た。

これで家に持ち帰っていた山の調査道具も物置に入れることが出来そうだ。

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被災地に行ってきた

あの日、私は旧職場の副学長室で、今の職場の移籍に関する引き継ぎ話で副学長と対面していた。
軽く地面が揺れたのを記憶している。
そして、1Fの事務室の課長が副学長室にやってきて、すごく大きな地震が起きたようです・・・。
東北地方太平洋沖地震を知った瞬間だ。

東日本大震災から今年で5年。
今年も職場の危機管理情報車両を運転し、仙台から久慈までを撮影した

(FBのアカウントを持っていないと見れないかもしれません・・・)

震災復興で26兆円が使われる予定。
26兆円といったら1人26万円に値する。

この時期不謹慎なのだが、最近こー思うようになってきた。

たとえば、千葉かどこかの液状化が起きた地区での地盤改良(杭打ち)に公的なお金が使われる話を聞いた時、私はこう思った。

液状化が起きる場所は、おそらく人が住んでいなかった干潟や埋立地。
そこに建つ戸建て。近隣の住宅と比べ値段も幾分も安かったのだろうと思う。
安い買い物ができたというメリットを享受していた住民。
それが、被災して家が傾いた。これは、安い買い物の裏腹にあるリスクが実現したというだけの話。
そーゆー話を聞いていないというのは、個人の生活力のなさであり、これまでの人生のなかで、そーゆー話を素通りさせてきた甘さが表面化しただけの話。もちろん、家が傾いたことを気の毒に感じるが、自己責任で対応すべきでは?
もしも、公的なお金で地盤の改良が行われ安全度が高まるのなら、その住宅に住む人は、家を買った当時の相場と購入価額との差額を現在価値での払うべきでは。

被災地の復興もそのように思う。
今日の報道を見ていると、あまりに災害とその復興の努力を賛美している。
津波に飲まれたところにまた帰ってきたい・・・。生まれ育ったところだから・・・。
それは、いいけれど、そのセンチメンタリズムは自己責任で実現してほしい。本当は、人が住んではならぬところで住んでいたのだから。そこに住んだのは、「便利を優先」「安全なところは猫の額くらいしかない」ので「人が住んではならないところに住んでいた」(過去の津波で被害を受けているのだから)

被災地を二日間駆け抜け、土木工事の活気に湧く東北を見てきた。
これから人口減少で消滅していく町が多くなるところに持ってきて、26兆円が使われる。
私は、その3分の1でも2分の1でも、南海トラフ巨大地震に備えるために使ってほしいと思う。そのためなら26万でも、50万でも受け入れられるが、いまの東北復興で26兆円というのはいかがなものかと被災地を見て感じ入った。

名古屋港

月曜日の夜に春日井を出発して仙台。
火曜日・水曜日と仙台と陸前高田を往復する。
木曜日は、仙台から一人ハンドルを握り春日井までもどる。

今年で三回目になった被災地の車載カメラでの撮影にいく。

今日は仙台に車を送るため(無人搬送)港に車を置きに行く。
港に近づくと・・・、ここで地震が来たら・・・。
津波の時にどうやって逃げようか・・・。

なかなか、スリリングなエリアに足を踏み込んだ。

海水が溢れるだけではなかろう。
仮に電柱に登って迫る海水を過ごしたとしても
船が電柱にあたる・・・。

いろいろ考えると、もうこれは博打に近い。

東京の眺め

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今年で50才。納得できる仕事だけにこだわっていたら、日本を変える仕事ができずに終わってしまう。いろんなところで、意に沿わぬ事業が進み初めている昨今。これは、自分から攻めないことには、時代をミスリードされてしまう(・・・と目出度く思い込んでいる)。

そんなことで、年末から水面下で大きな構想を考え始め、あっちに行って、こっちに行って・・・。している。

今日は今年3回めの東京での情報交換。

打合せ会場は東京駅でてすぐのビル。25階の会議室からみた東京は絶景だった。
雪をかぶった富士山。手前のビル群。

はじめて東京の景色に、こころが動いた。おっーーー、これは。

会議が終わって廊下からの景色がこの写真。

中国人がいぜん、目の前の城を見て「いくらですか」と聞いたという話。
話の真偽は定かでないが、初めて皇居を俯瞰した。