月別アーカイブ: 2016年4月

エンジン音の異常

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この車に乗って23年目突入し始めた。
乗り始めてから常に心がけていることは、5000キロのエンジンオイル交換、10000キロのエレメント交換。そして始動時の暖気運転(今では、120秒を数えてから動かすようにしている)。

・・・

二週間くらい前、暖気運転しているときに、車をおりタイヤの確認をしようと外に出た。
すると、窓を閉めた車の中からは気付くことがなかった音が、車の下から微かにしてきた。
僅かにカラカラカラ・・・という音。
エンジンの何かが不調なのだろうか・・・。

私の車はターボタイマーがついていて、エンジンが特に熱くなった時には、エンジンを切ってからも暫くアイドリングして、エンジンが切れるようになっている。

昨日や、山の調査で山道をグイグイ走っていた。
エンジンをきり、山道を歩き出した。エンジンはターボタイマーのおかげで付いている。

車から離れて30mくらいしたあと、エンジンがストンと切れた。
そのとき、カラカラという音が随分大き語った。これは一大事!

それに気づいて、車のハラを覗いてみた。
そしたら、マフラーをとめているバンドが切れ、エンジンの振動でマフラーにあたってカラカラ音をだしていることが分かった。

ほーーー、よかった。
これなら、なんとか修理で治りそうな話だ。

鉄も22年もすれば、厚みが数ミリの鉄でも腐食で切れてしまうことを実感。

他の部位は大丈夫だろうか。。。
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選挙とボランティア

毎度のことだが、どこもかしこも選挙の度に投票率は低い。その選挙で一旦選ばれれば、民意を得たとして、政策を遂行していく。

特に、選挙では若者の投票率は低く、若者は政治に無関心だという。
そして、為政者やマスコミは、海外の事例を引き合いに出し、海外の若者の積極的な姿勢を日本の若者に一生懸命伝え、自分たちがいかに政治に関心がないかを悟らせようとやっきになる(?)。

しかし、どうだろう。
このところの熊本地震のボランティア。時間があるからということもあるが、選挙にいかないと思われるような若者、若者・・・。そんな映像にふれるたび、感動にちかい驚きを得る。

私は、そもそも議会制民主主義が、日本に合わないのだと思っている。
学者は議会制民主主義にかわる政治のあり方を提案しない。
為政者は議会制民主主義の立て付けを疑うこともあい。
マスコミもなにも気づかない?
でも、ボランティアや避難所での人々の統制や規律を見るにつけ
若者も、多くの人と強調しながらより良い社会を作ることに貢献したいと思っているのだと思う。

もっと日本的な政治のあり方について、議論していけないものだろうか?熊本地震の映像と選挙の話がオーバーラップするこの頃、強くそう思う。

熱赤外画像

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このところ、ある仮説をもって職場の屋上から森林を撮影している。

この2つの写真はだいたい同じいちからの写真。町や畑の温度はだいたい同じようだが、森林の温度は随分違う。

天気・風・湿度を記録しているから、きっと写真を比べれば風が原因なのではと思う(実際、まだ分析するほどデータが溜まっていないので、あとでのお楽しみ)。

しかし、風や天気でこんなにも違うとすると、森林の熱赤外画像に関する私の仮説は・・・。実用的にはあまり意味がないことなのかもしれない。

半分諦め状態になってきた。

しかし、1年つづけるぞ!

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学食にて・・・

本日、職場の食堂で昼をとった。
オムライスをいただいた。
スプーンとフォークでいただいた。
(左手にフォークをもち、フォークの背中でご飯をスプーンに入れながらたべる、アジア式?!)

そしてつくづく思った。

箸をつかうアジア文化とスプーンを使うヨーロッパ文化。

手で食べていた時代から、どのようなことがきっかけとなりヨーロッパではスプーン、アジアでは箸となったのだろう。

自分が未開人だったら・・・スプーンのほうが発想しやすい。
棒きれで食べ物を串刺し(手で触れない熱い場合)して口に運ぶ。
それが延長して、スプーンなる。
なんと考えやすいことか・・・。

箸。いきなり使えと言われても通常使えない箸。
箸を使いこなすには修練が必要だ。
通常なら、2つの棒で食べ物を挟んでみたところで
うまくつかえず諦めるところなのに・・・。
どうして、できるまで何回も失敗しながら箸をつかったのだろう。

しかも、くねくね曲がった棒ではものはハサミづらいことから、日本の真っ直ぐな棒が必要となる箸。

箸をつかわざるを得なかった理由があるはずだ。

肉に対して、穀物主体の食事がそうさせたのか?
肉に対して、魚の食事がそうさせたのか?

これから暫くこの問題について考えてみよう。

南海トラフ巨大地震に備えて・・・

先週から続く熊本地震。
我が事として考えると、いろいろ南海トラフへの備えにつながる出来事多い。
とくに、避難所の生活を聞くにつけ、我が事として考える。

避難所でおにぎりを得るために2時間並ぶ。
水がない。

東日本大震災があり、食料・水の備蓄をするのが常識になっているのでは。
通常備蓄は3日間。南海トラフはインフラの復旧に時間がかかるので10日分。
水は1人1日3リットル。十日間なので、1人30リットルの水、などなど・・・。

さて、熊本地震。
避難所でおにぎりを得るために避難所で2時間並ぶ。
避難所で食料が配布されることを当然の権利として
備蓄をしていなかったわけではあるまい。

また、備蓄がないにしても、家にある米やラーメン、根菜類を持ち出せば数日間の食料に困ることはあるまい。

だけど、困っている。

私は自分のこととして考えた。

家の中で備蓄している場所が悪かったため、備蓄を持ち出せないことが多いのでは。
家が崩れてしまっていては、命は助かったとしても備蓄品は持ち出せない。

たとえ、持ち出しやすい玄関に備蓄品・非常持ち出し品を保管してても玄関が崩れてしまえば持ち出せない。

備蓄品は屋内なら、2F。屋外なら、専用の物置などがいいのでは。

備品も非常持出しも、家や物置が倒れてしまい取り出せなければ、備えがないに等しい。

熊本地震を我がこととして考えると、そんなことを思った。

空手振り返り

先日の大会、自分の演武を撮影した動画をなんどか見た。

いろいろ気付くところがある。
治せそうなところ、治すのが難しそうなところ。

それぞれの形の中に問題があるというよりも
基本の動きに問題があるように思う。

速さに注意するばかり、一つ一つの動作が終わる度に
指先や手首が揺れる。

大きな動作を心がけるあまり、脇が合いてしまう。

一方、一つ一つの動作が終わった後の決めの姿や
下段ゲリのスピードは思ったより、出来は良さそうだ。
↑このあたりは、高校のころ、窓ガラスに写る自分の姿を見ながら
ジャッキーチェンの形を真似ていた、「見て学ぶ」姿勢の賜物か?

最近は、師匠が公用で稽古でご指導いただくことが少なくなったが
まだまだ、自分でやれることはたくさんある。

そんなことを実感する大会になった。

空手の大会

症状

本日、空手の大会があった。
勝つことを目標に空手をしているわけではないけれど、ともかく1つの灯台のように思い、このところ、大会でている(今年、昨年、3年前、4年前)。

軌跡の優勝をゲット。
3年前には繰り上げ当選で全国大会にいったけれど、こんどは胸をはって全国大会にいける。
素直に嬉しい。

サーモグラフィー

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森の管理のために使える情報になるのでは?と思い、最近サーモグラフィーという熱赤外線を捉えるデジタルカメラを購入した。
温度がたかければ、黄色くうつり、低ければ黒っぽくなる。
濃淡をみていると温度差が分かるというものだ。

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これから一年間を通して、森の温度写真をとっていこうと思う。

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どんな結果が出るかは、まったく未知だが、途中で心折れるおとなく
なるべく毎日同じ場所から写真をとってみようと思う。

1人、ペットボトル不買運動始めました

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今回の沖縄で得たもの・・・。

海を眺めるだけで気分が良くなるのだが、海岸に目をやると、ゴミの漂着に目を覆いたくなった。ペットボトル系の容器、発泡スチロール、網のウキが主なゴミだ。
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どこも、
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かしこもだ。

ペットボトルのパッケージは中国語・韓国語。しかし、中国・韓国がいけないわけではない。日本だって太平洋を通じてアメリカにペットボトルを流しているに違いない。

悲しい現実。30年前に知床半島の先端の沿岸を、泳いだり歩いたりして前進した。そのとき、知床の海岸には、流木・ガラス製の網のウキ、木製の樽が漂着していた。おそらく数十年で雲散してしまう破壊・分解型のゴミだ。

この沖縄、ペットボトルの漂着はここ10,20年の間のことだろう。10年、20年でこの有様だ。50年、100年したら海岸はどうなってしまうのだろう。

誰か拾うのか?拾わないか?
拾うのならそのコストは誰が負担?
コストの負担も悲しいことだが、もっと悲しいことは、次世代を担う現在の子供たちが、ゴミが落ちていることに違和感を持たない人類になってしまうことだ。

100年後の人類は、ゴミ屋敷に住む住人のように、地球のあちこちに落ちているゴミを気にせず人は暮らしてくのだろうか?

原子力はコストの低い電力というふれこみだ。しかし、放射性廃棄物の処理まで考えていくと、決してコストが安い電力ではない。・・・らしい。

ゴミも同じ土俵の問題だと思う。ペットボトルはコストの安い容器だ。しかし、その回収に係るコストを考えれば、決してコストが安い容器ではあるまい。もちろん、回収せずにどこかに捨てて野ざらしにすれば、回収コストは不要で、安い容器に違いはない。

しかし、私はゴミに溢れた海や街や山を次世代に残したくはない。だから、回収のコストをペットボトルの容器に加えるべきだ!!!と声を大にして叫びたい。しかし、賛同する人はおるまい。
ならば、どうするか!

決めた!決めたぞ!! いままでペットボトルの飲料を気軽に買っていたが、「脱ペットボトル宣言」「1人ペットボトル不買運動」をしよう。ペットボトル業界の繁栄に加担するのはやめよう。
水筒をもとう。不要不急な水分補給は我慢しよう。子供の頃のよう、公園の蛇口の水で十分じゃないか。

コンビニの弁当もやめよう。プラスティック容器が、徒歩通勤で道端に捨てられているのを、俺は随分見てきたじゃないか。プラスティック容器業界繁栄に加担するのはやめよう。

自然分解包装・容器ならば、高くてもそれを選ぼう。
(昔のように、紙袋や新聞、竹皮、木材シートなどなら・・・)

あるいは、量り売り、あるいは自分で袋・容器を持ち歩く・・・。

そういう生き方をしよう。

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西表島にはゴミ焼却場がない。旅行者はゴミを持ち帰るように促してあった。そして生ごみは地域にコンポストがあり、地元で分解させている。
日本は、大きな西表島であって欲しいし、世界は大きな大きな西表島であってほしい。

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自分一人が行動しても現状は変わらないが、嫌だと思う世の中の成立に、遠回りでも加担している自分で人生を終えたくない。生きているかぎり脱ペットボトル。そんなことをこの沖縄で得た。

回想 石垣島・西表島・竹富島

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ときに視界がひらけた海をみたい。
砂浜の色、海の色、あー、沖縄に来たことを実感する。

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西表島では、シーカヤックで湾を横断しマングローブの川を遡り、帰路、無人島に上陸。黒い炭場のものは、誰かの焚き火跡かとおもったが、「石炭」だそうだ。

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竹富島では、町並みの保存のためのルール作りが行われ「島の住民以外に、建物を売らない、貸さない」らしい。

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海開きも終わり、Tシャツで生活できる気候だったため、沖縄の太陽に随分精神をほぐされた気がする・・・。が・・・。つづく。