月別アーカイブ: 2016年9月

秋田杉

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今日からスポーツマスターズ2016秋田大会に参加するため、秋田市に来た。

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この写真は、サブコート。練習用のスペース。床はスギ材だ。
建物の建具は、秋田杉のすてきな建具でできている。
いまでは秋田杉の建具の需要がなくなったため、市場でも高値で落札されない秋田杉だが、やっぱり秋田杉は色も目もすてきに思う。
中部地方のスギとはずいぶん様子が違う。

試合は明日だが、あさっては秋田杉の森を見学に行くことにしている。

ハードディスク

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フロッピーの時代が懐かしい・・・。

昔は少ない容量を上手に使うために、ファイルの管理は、少しだけまじめにやった。
しかし、いまハードディスクは大容量。そして低価格。
ファイルの管理をする手間をかけるのは後回しに、新しいハードディスクにデータを保存。
そんなことを繰り返していたら、どこにどんなファイルがあるのかさっぱり分からなくなった。
こんなことでは駄目だと、月曜日からHDDのファイル掃除し始めた。

もう、一生見ることもないようなファイルもいっぱいだ。

そして、ハードディスクをかき集めていたら
SSDもいくつか出てきた。
買ったことを忘れて使っていなかったもの。

先週から大量データ処理をしているため
作業はこのSSDのうえでやるようにしようと
ファイルだけではなく、ドライブ(HDD、SSD)の整理も始めた。

コーユーファイルの整理術、いろいろ本は読んだが
そもそも整理することが、俺には無理だ・・・。

重労働・・・。

夏の終わり

昨日は雨。雨だから蝉の声は聞こえなかった。
今日は台風一過、蝉の声が聞こえてもよい環境だ。

しかし、蝉の声響かず。

今年はいつもよりも蝉の終了が早いように思う。

これで、夏も終わった。
これから坂道を転がるように秋が深まってくる。

川で泳ぐこともなく、夏で泳ぐこともなく
西に東に南に北にと移動していたら、夏が終わってしまった感じがする。

・・・

おっと、夕方一匹、天涯孤独のツクツクボウシのの鳴き声が聞こえた。
(昨年は十月の第一週まで蝉が鳴いていたようだ:昨年のブログから調べた)

山小屋進捗

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少し前の話になるが、中途半端になっている山荘建設を進めてきた。
山荘といっても、山荘を作り始めたものの遅々として進まないのは、夜でも雨でも作業が行え、資材をおける作業小屋件資材置き場がないからだと判断したために着手した、小屋だ。こいつを冬までに作らなければ、また半年雪に閉ざされる。

急げ、急げ!

あとは筋交い・床貼り、屋根貼り、壁づくりが残るが
ともかく床と屋根だけは近いうちにつくりたい。

これが現実の「運命というもの」なのか・・・。

余命一年の宣告から約八ヶ月、余命一月の宣告から一月…。
本日、午前3時55分、高校の同級生が亡くなった。

彼を最後に見かけたのは、浪人時代、予備校主催の講演会。
演者は名城大学の哲学者だった。
講演が終わり、質問の時間、数百人の会場中で手をあげ発言した男がいた。彼だった。
久しぶりに見た彼。

講演の内容は忘れてしまったが、演者は「名古屋人の行動には規範や規律がない。無秩序だ。どうしようもない、嫌になる、と名古屋の地域批判を展開していた。そんな中、演者は講演の最後あたりで、名古屋は結構住みやすくて好きだ」そんなことを言っていた。
同級生は、彼に質問した。「あなたは矛盾していないか」
その質問に対して哲学者は、少し間をおいてこう答えた。「人は誰しも矛盾の中で生きている。人とはそういうものだ」

そのやりとりを鮮明に覚えている。あのときの映像を今でもときどき思い返すことがある。

…あれから30年以上たつ。彼の消息を尋ねようと、インターネットで検索したこともある。そして、大学の非常勤を掛け持ちしながら本をいくつも出版していた彼を知った。
いまでは大学教授になった彼と、いつか浪人時代のあの出来事について「そんなこともあったね」というやりとりをしたいと思い続けていた。

一週間前、高校の同級生から同窓会をするが出席しないか?というメールが入った。葉書で案内が来るような正式なやつではなく、ゲリラ発生的に開催する同窓会。そういった仲良しクラブの延長で行われる同窓会だと、行く余裕はない。しかし、私が思い出話をしたいと30年思ってきた彼が、余命1年の宣告をうけており、そのこともあっての同窓会だということだった。それに驚き、現在私が知っている同級生に声をかけた。

ただ、声をかけるからには、余命一年と宣告された彼が来るか?これがポイントだ。すると私が声かけした友人(横浜在住)が、彼の連絡先を知っているということで、彼(東京在住)にコンタクトをとった。

2日間、彼とも彼の家族とも連絡取れない。
3日目の朝、彼の奥様と連絡が取れた。
彼は入院しているとのこと。

そして今朝、彼が永眠した連絡を受けた。

運命とは残酷なものだ。
彼の命の輝きを消してしまうだけでなく、残されたわずかな時間でさえ、猶予をくれない。

「運命はどんな努力をしようが待ってはくれない。人生とはそういうものだ」
あの名城大学の哲学者の言葉が、彼と重なる・・・。

いくら努力しても人生には、起承転結もなく、ストーリーもない。
突然始まり、突然終わる・・・。

高校の陸上部・生徒会で同じときを過ごした思い出をありがとう。
冥福を祈ってる。
君のこと忘れない。
これからはときに君の人生を思い返し、力にかえさせてもらうよ。

熊本行

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2日、熊本に行ってきた。
荒尾という私には未知の場所だったが、なんでも三井炭鉱(盆踊りの曲目の一つ、月がでた出た月がでた~ 三池炭鉱の上に出たの舞台のようだ)で有名なところだったようだ。

その熊本で、泉林業の社長が亡くなられた話を聞いた。
地震の際、お見舞いの電話をいれたら、社長が入院されたということだったが、それほど悪かったとは。。。
社員には非常に厳しいが、実直で義理堅い社長に、あるべき姿を見ていた。

「安全は全てに優先する」つねにそれを言っていた。
安全を高める為、いち早く機械化に取り組み、機械の改良ノウハウはオープンにした。
安全意識の大きなきっかけになった、労働災害によって無くなったか方へのお墓まいりは
彼岸には車を2時間ほど走らせ半世紀以上欠かさず通い・・・。
(わたしも一度、お墓まいりについて行ったことがある)

感慨深い・・・。

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熊本から人吉にいく快速電車。
車内のアナウンスやサービスは、非常に観光客向けで驚いた。
観光名所の説明、弁当販売PR、駅長帽と車両プレイトとの記念撮影(車掌さん:若い女性が、乗客のカメラを「ハイ、チーズ」といって撮影)。

悲しい知らせと対照的な車内だった。

違和感

こんな情報発信を聞いた。
「どうしてプロに無償で仕事依頼しちゃダメなのか?」

私は違和感を感じている。

お金をもらうことができるのがプロ、なのだと思う。
「プロと名乗る人がお金をもらえるわけではない。」

お金をなぜもらえるのか?
それは、そこに価値を見出してくれる人がいるから、でしかない。

人は農業・水産業に従事しない限り、お金がないと明日生きていく術がない。
だから、現金を必要とする。
現金を得て、食料を入手する。
人は、食料を入手する(自分+家族)ために現金収入を得る。そのために仕事をする。これが根本。
贅沢な生活をしたいというのは、余剰の話。

プロに仕事を無料で依頼する。私は、それはあってもいいと思う。
お金を得なくても、その仕事をしたい人がいる。
余裕のある人は、その仕事に価値を見出せば、仕事をしたいと思うこともある。
そういう人への依頼が、仕事を無料で依頼するのだと思う。

プロに仕事を無料で依頼するな!に賛同する人は
本当の意味でのプロではなく(その人の仕事に価値を多くの人が見出してくれる人ではなく)、プロという幻覚(自負)をかろうじて維持している人ではないだろうか・・・。

価格は、需要と供給によって決まってくる。
供給が少ない時は、仕事の単価は高くなる。
しかし、供給が多くなれば、仕事の質によって単価は変わってくる。
となれば、質の低い仕事では生計支えることはできなくなる。
その結果、以前はプロであっても、いつの間にかプロではなくなる。
それを自覚できないとき・・・。
「プロに仕事を無料で依頼するな!」となる。
・・・んじゃぁ、ないのかなぁ・・・。

ある一定の単価でなければ仕事ができない
という場合は、本当の意味でのプロではないのだと、私は思う・・・。
プロかプロでないかは、市場の評価によって決まる。
つまり、需要と共有、そして仕事の質、このバランスによって誰がプロなのかが決まる、・・・のだと思う。

追伸:プロはお金で評価されるプロともう一つのプロがあることを思い出した。
お金を得られなくても、だれも追随を許さぬオンリー・ワンの仕事をする人もプロにふさわしい。
そんな人は、無料で仕事をすることに、自分の仕事が人に必要とされていると感じれば、応じるだろう。

追伸2:先述「どうしてプロに無償で仕事依頼しちゃダメなのか?」で引き合いに出しているのは、「設計」と「八百屋」。八百屋に「これ、だだで頂戴」ということが「なし」のように設計を「タダで」はないと論じている。しかし、両者は別次元の話だ。八百屋には「原価」がある。だから、「タダで」というのは失礼な話だ。しかし設計には「原価」は僅少で、そもそも個人がゼロから生み出しているものであって(ハードは原価がある場合があるが、ソフトは原価はない)原価はない。あえて言えば、原価以外に、設計できるそのレベルになるまでの投資があるが、投資は消費者の知ったことではない。消費者に大切なのは「結果:青果物:商品」だけだ。
だから、先述「どうしてプロに無償で仕事依頼しちゃダメなのか?」「設計」と「八百屋」を引き合いにだし、八百屋に「これ、だだで頂戴」ということが「なし」のように設計を「タダで」はないと論じている。といっているのは、おかしな話だと思う。

いずれにしても、プロかプロでないかは自分が決めることではなく、消費者が決めるものだ。「どうしてプロに無償で仕事依頼しちゃダメなのか?」その問題設定自体がおかしな話だ。
ちなみに私は、収入を得ているのは「ポスト」によっているだけで、何かのプロとの自覚はない。