余命一年の宣告から約八ヶ月、余命一月の宣告から一月…。
本日、午前3時55分、高校の同級生が亡くなった。
彼を最後に見かけたのは、浪人時代、予備校主催の講演会。
演者は名城大学の哲学者だった。
講演が終わり、質問の時間、数百人の会場中で手をあげ発言した男がいた。彼だった。
久しぶりに見た彼。
講演の内容は忘れてしまったが、演者は「名古屋人の行動には規範や規律がない。無秩序だ。どうしようもない、嫌になる、と名古屋の地域批判を展開していた。そんな中、演者は講演の最後あたりで、名古屋は結構住みやすくて好きだ」そんなことを言っていた。
同級生は、彼に質問した。「あなたは矛盾していないか」
その質問に対して哲学者は、少し間をおいてこう答えた。「人は誰しも矛盾の中で生きている。人とはそういうものだ」
そのやりとりを鮮明に覚えている。あのときの映像を今でもときどき思い返すことがある。
…あれから30年以上たつ。彼の消息を尋ねようと、インターネットで検索したこともある。そして、大学の非常勤を掛け持ちしながら本をいくつも出版していた彼を知った。
いまでは大学教授になった彼と、いつか浪人時代のあの出来事について「そんなこともあったね」というやりとりをしたいと思い続けていた。
一週間前、高校の同級生から同窓会をするが出席しないか?というメールが入った。葉書で案内が来るような正式なやつではなく、ゲリラ発生的に開催する同窓会。そういった仲良しクラブの延長で行われる同窓会だと、行く余裕はない。しかし、私が思い出話をしたいと30年思ってきた彼が、余命1年の宣告をうけており、そのこともあっての同窓会だということだった。それに驚き、現在私が知っている同級生に声をかけた。
ただ、声をかけるからには、余命一年と宣告された彼が来るか?これがポイントだ。すると私が声かけした友人(横浜在住)が、彼の連絡先を知っているということで、彼(東京在住)にコンタクトをとった。
2日間、彼とも彼の家族とも連絡取れない。
3日目の朝、彼の奥様と連絡が取れた。
彼は入院しているとのこと。
そして今朝、彼が永眠した連絡を受けた。
運命とは残酷なものだ。
彼の命の輝きを消してしまうだけでなく、残されたわずかな時間でさえ、猶予をくれない。
「運命はどんな努力をしようが待ってはくれない。人生とはそういうものだ」
あの名城大学の哲学者の言葉が、彼と重なる・・・。
いくら努力しても人生には、起承転結もなく、ストーリーもない。
突然始まり、突然終わる・・・。
高校の陸上部・生徒会で同じときを過ごした思い出をありがとう。
冥福を祈ってる。
君のこと忘れない。
これからはときに君の人生を思い返し、力にかえさせてもらうよ。