月別アーカイブ: 2016年10月

雲梯

今日の夜、近所を散歩した。
公園に足を踏み入れた。

実は昨日、秋田の空手全国大会出場時のDVDをいただいた。
そして観た。

観てはいけないものを観てしまった。
自分の中のイメージとはまったくかけ離れた演武だった。
体の軸がスピードをコントロールできず、芯がぶれぶれだった。
私を送り出してくれた同枠の選手に申し訳ない気持ちで落ち込んだ。

もしも、空手を続けるならば、はやりスピードをコントロールできる基礎体力が必要だ。
そんな思いで散歩がてら公園に踏み入れた。

その公園に雲梯があった。
私が通った小学校にもあり、休憩時間には一個飛ばし、二個飛ばし・・・。回転ジャンプ・・・。当たり前のように当たり前に遊んだ。家に帰った後も学校に行き遊具で遊んだ40年以上前の出来事を思い出す。

まぁ回転ジャンプは無理にしても、雲梯にぶら下がりながらの移動はできるはず。そう思って、雲梯にぶら下がった。

いてぇ~。手のひらが痛い。この状態で片手で体重を支え、移動できるか・・・。

君子危うきに近寄らず。
今日のところは止めておこう。

なんだ・・・。体重が重すぎるのか。
握力がなさすぎるのか。
手のひらの皮が薄すぎるのか。

やはり子供のころは体を動かして遊ぶに限る。
遊びながら体と神経が発達することの重要性を改めて考えた。

恐るべし子供時代の遊び。

富士山初冠雪

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縁あってこのところ富士山周辺の森林資源解析をしている。
昨日3回目の富士吉田入りをしてきた。

一回目は8月下旬、愛知は暑かったが富士吉田はヒヤリとしており同じ日本なのに・・・と驚いた。

二回目は先週。あの暑い夏であれだけ涼しかったのだから、さぞ寒かろうと身構えて行ったら、愛知とそれほど変わらない。

そして昨日。秋の盛りの気候。標高の高いところにも行ったが、そこは確実に寒かった。初冠雪の富士。

いま、交通手段が発達して、日本全国、世界各地へ比較的自由に往来できるようになった。そして、一回の経験で、その地域を語ってしまうこともある。
たとえば、私の場合このブログにもあるが、ヒマラヤ、ニュージーランド、インド、インドネシア、ブータン。秋田、九州熊本・・・。

でも、同じところに何度か行くうちに、印象が変わっていくことも多い。今回の富士吉田もそう。

私はどれだけ、地域の生活者の感覚に肉迫できているか・・・。

熊本に行ってきた

10月8日にプライベートで熊本に行ってきた。
日本林業の機械化を進めるうえで多くの貢献をされた方が、8月末になくなられ、その本葬に主席するためだ。9月の初旬に九州に仕事で出かけ、そのとき訃報を知った。
著書もいくつかある。その1つを拝読し、自分の利益を顧みず仁に邁進する考え方に感銘を受けた。

白血病で入退院を最近は繰り返しながらも延命治療を望まなかったそうだ。
現場で亡くした同僚を弔うため40年以上にわたり、毎晩、般若心経を唱えていたうえ、亡くなる直前の病院のベットの上でも毎晩、般若心経を欠かさなかったとのこと。
そして、献体を希望されていたため、本葬をこのタイミングにしたということだった。

ということで、九州に行ったついでに阿蘇や高千穂を回ってきた。

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とまぁ、九州らしい場所をいくつか回ったが、やはり気になるのは学びにつながる「小屋」。

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山荘完成はいつになることやら・・・。

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カメムシの訪問

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以前の職場は秋に冬眠場所を捜すカメムシが沢山やってきていた。秋の風物詩であったカメムシ訪問。カメムシが沢山発生する年の冬は雪深い年になるらしい。

すでにこの職場に来て4年半。カメムシの襲来は忘れていたが、今年はなぜか目にとまる。数週間前にカメムシが職場の居室で飛んでいるのに気づいた。彼を乱暴に扱っては大変だ。じっと戸を開け彼が飛び去るのを待つ。音もしなくなったので、もういないかと思っていた。

10日後くらいにまた、あの乾いた羽音だ。なんだまだいたのか・・・。

食べるものがなければ、あいつも干上がるだろう。
そう思っていたのに、あいつは飲まず食わず?で10日間を生き抜いていた?!

彼を乱暴に扱っては大変だ。じっと戸を開け彼が飛び去るのを待つ。もういないかと思っていた。

そしたらまた・・・。

そんなことが何回かあった。昨日、タイミングよく彼が机のプリントのうえにいた。
これ幸い、彼を冬眠場所に誘うために、プリントを窓から降り、カメムシを追い出した。

あいつ・・・何週間も飲まず食わずで、この寒さに耐えられるのだろうか・・・。

私が社会人になる前、学校は衣替えというイベントがあった。

9月30日までは町の景色も白く輝いていたのが(カッターシャツやセーラー服)、10月1日からキッカリと黒くなった。一気に町の景色が変わって見えた。
生徒達は、残暑の気配を感じながら、いやいや黒い制服をきて自転車をこぐ。

体感(個人の感覚)と暦(社会の決まり)が季節の変わり目(成長の過程)では一瞬、不一致なときがある。
まるで成人式の感覚ににている。でも、そういうのが社会なのだと、こうしたことを経験することで身をもって理解するようになった。

それが、今では衣替えは緩やかで、この時期でもまだ白いカッターシャツやセーラー服で自転車をこぐ学生らが多い。季節(地球)が暖かくなったためなのか、社会が個人の意思を重んじるようになったのか・・・。よく分からんが、すくなくとも、個人の意思に反しても進む季節の演出(社会共通の季節感)はなくなってきた。

体感(個人の感覚)と暦(社会の決まり)が季節の変わり目の不一致なときの感覚を味わうことも少なくなった今、こうして蝉やカメムシの到来に接し、自分の触角をめいっぱいのばして季節を移ろいを捜している。

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