以前の職場は秋に冬眠場所を捜すカメムシが沢山やってきていた。秋の風物詩であったカメムシ訪問。カメムシが沢山発生する年の冬は雪深い年になるらしい。
すでにこの職場に来て4年半。カメムシの襲来は忘れていたが、今年はなぜか目にとまる。数週間前にカメムシが職場の居室で飛んでいるのに気づいた。彼を乱暴に扱っては大変だ。じっと戸を開け彼が飛び去るのを待つ。音もしなくなったので、もういないかと思っていた。
10日後くらいにまた、あの乾いた羽音だ。なんだまだいたのか・・・。
食べるものがなければ、あいつも干上がるだろう。
そう思っていたのに、あいつは飲まず食わず?で10日間を生き抜いていた?!
彼を乱暴に扱っては大変だ。じっと戸を開け彼が飛び去るのを待つ。もういないかと思っていた。
そしたらまた・・・。
そんなことが何回かあった。昨日、タイミングよく彼が机のプリントのうえにいた。
これ幸い、彼を冬眠場所に誘うために、プリントを窓から降り、カメムシを追い出した。
あいつ・・・何週間も飲まず食わずで、この寒さに耐えられるのだろうか・・・。
私が社会人になる前、学校は衣替えというイベントがあった。
9月30日までは町の景色も白く輝いていたのが(カッターシャツやセーラー服)、10月1日からキッカリと黒くなった。一気に町の景色が変わって見えた。
生徒達は、残暑の気配を感じながら、いやいや黒い制服をきて自転車をこぐ。
体感(個人の感覚)と暦(社会の決まり)が季節の変わり目(成長の過程)では一瞬、不一致なときがある。
まるで成人式の感覚ににている。でも、そういうのが社会なのだと、こうしたことを経験することで身をもって理解するようになった。
それが、今では衣替えは緩やかで、この時期でもまだ白いカッターシャツやセーラー服で自転車をこぐ学生らが多い。季節(地球)が暖かくなったためなのか、社会が個人の意思を重んじるようになったのか・・・。よく分からんが、すくなくとも、個人の意思に反しても進む季節の演出(社会共通の季節感)はなくなってきた。
体感(個人の感覚)と暦(社会の決まり)が季節の変わり目の不一致なときの感覚を味わうことも少なくなった今、こうして蝉やカメムシの到来に接し、自分の触角をめいっぱいのばして季節を移ろいを捜している。