月別アーカイブ: 2017年10月

今年の秋の特徴

いつもこのころは,大学生のときにお世話になった沖縄の高江小中学校への贈り物が気になる時節だ。ここ5年毎年柿を送っているが,初年度は11月3日で柿が購入できた。しかしそれ以降は,天候不順やらで11月中旬から下旬が収穫時期のようだった。
しかし,通勤途中に見える柿の木からすると今年は柿の収穫時期は例年より早いかも?

amazon プライムの効用

この夏に、amazonプライムの会員であることに気付き、amazonの音楽、ビデオのサービスを居ながらにして享受してきた。最近の楽しみは、子供の頃に見た漫画の再視聴だ。

機動戦士ガンダム、未来少年コナン、北斗の拳、そして今釣りキチ三平を観始めた(風呂に入りながら)。

そして、子供の頃には思いもしなかった物語の構成に驚いている。子供の頃は、物語の筋を理解していなくても100%楽しめて、次の週が来るのが楽しみだったのに・・・。

ガンダムは、物語の構成の複雑さに加え、「増えすぎた人口」をテーマにした物語。
未来少年コナンや北斗の拳は(たぶん宇宙戦艦ヤマトも)、「核戦争」による人類社会のリセット。
釣りキチ三平には、古き日本の叙情と高度成長との軋轢が。

こういった漫画を今風に置き換えると、Sustainable Society(持続可能な社会)が見え隠れする。今、流行のESD(Education for Sustainable Society)やSDGs(Sustainable Development Goals)と、とても関連深い。

私自身、いつの間にか自然環境・地球環境について考えることが仕事になっているが、それはもしかしたら、子供のころ意識せずに観ていた漫画が、潜在意識の中で道徳観を形成し、今の基礎になっているのかもしれない。恐ろしや漫画!?

ちなみに釣りキチ三平には、かなり驚いている。
高度成長のころを舞台にした漫画だと思う。
しかし、三平が済む住居環境は藁葺で囲炉裏がある(秋田が舞台?)。
そして、雨具
は蓑。
リールは最新兵器(テグスはあるが)。

私にとって高度成長は、Just Only Yesterdayなのに、こんなにも現在と違うのか・・・。
この社会変化の加速度に人の意識はついていっているのだろうか・・・。
毎回、風呂に入りながら釣りキチ三平を観て思う。

ちなみに私は、小学生のころ、釣りが好きでたまらなかった。中学過ぎたら、釣られる魚が痛いのか?と考えるようになり、釣りから遠ざかった。しかし、いまは進化論を根拠に釣りをしたくてたまらない。しかし、時間をさけない・・・。

いつかは釣りをしながら、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく妄想する時間を、釣りを通して得たい(ということは海釣りがいいのかな)。

恩人を偲ぶ会に参列して

大学卒業して民間企業を辞めて、ひたすら本を読んで過ごしていたとき、これからの人生を思うと、眠れない不安にかられる日もあった。これから俺の人生はどうなるのか・・・。誰か知ってたら教えてくれ!ーーー!。本当に絶叫したい夜もあった。

そんなとき、学生時代から思い入れのあった長良川の流れる美濃市に「森林文化アカデミー」という学校ができ、そこで「カリキュラムにGISを入れるので、それを教える人材を探している」ことを、岐阜県庁に努める大学の先輩から聞いた。27才のときだ。そのとき、残念・・・、俺の身の丈以上の話だ・・・。チャンスが手のひらから転がった気持ちがした。

それから3年ほど経ったころ、まだ森林文化アカデミーでGIS教育を担当する人事が決まっていないことを耳にした。27才のときには、自分には過分の職だとおもったが、それ以降、慶應大学研究員・社会人大学院(98-99年、愛媛大学社会人大学院に所属)を通し、教育体系を構想できる気がした。再度この話を耳にしたとき、これだ!と思った。

そんなころ、たまたま、学長予定者の熊崎先生が愛媛に来ることを耳にした(当時社会人大学院の卒業年度)。熊崎先生の知り合いの私の愛媛大学での指導教官(名古屋大学のころからの公私に渡る師匠)に仲介をお願いし、熊崎先生と愛媛の久万高原町のプレカット工場で立ち話をし、熊崎先生より「情報が出来るやつはたくさんいるが、山ができるやつはいない」「山が出来るやつはいるが、情報ができるやつはいない」。「君は山ができて情報ができそうだ。一緒にやろう」と声をかけていただいた。

そして、あれから20年近くたち、あのとき選択した人生の延長線に満足している自分がいる。

こうした満足した人生(毎日は苦しいことばかりだが)の原点は「岐阜県立森林文化アカデミー」だ。県民税で学校を支えてくれた岐阜県の皆さんには本当に感謝している。そして、それ以上に「岐阜県立森林文化アカデミー」を構想くださった元岐阜県知事の梶原拓先生への感謝は言葉で言い尽くせない。

森林文化アカデミー在職時は、まったく雲の上の方で、話かけることさえタブーだと思った。しかし、たまたま同じマンションに住むこととなった(知事を退任された後の住居)。初めてエレベータでお会いしたとき、直立不動で震えながら感謝の言葉を伝えた。以降、ときに私の書物(かきもの)や作った野菜・採ったアサリなどをお届けさせていただくうち、たまにお部屋にお招きいただき、興味深い話を伺うこともあった。お話をする度に、先生の好奇心と、異論があっても「人の話を最後まできいてくださる」ことに感銘を受けた。

その梶原先生が、2017年8月29日になくなった。

本日10月26日、先生を偲ぶ会が岐阜で開かれ参加した。

先生のご冥福をお祈りいたします。

ことの歳まで食わず嫌い!?

この職場では、福利厚生の一環として、なんだかよく分からないサービスがある。
福利厚生の意味も分からない私は、トンガってそんなサービスは無視していた。
ところが、3年前からものは試しにと、福利厚生サービスの一端を少しずつ開拓し始めた。

職場では毎年1回、観劇の案内がくる。
野球、サーカス、ミュージカル、音楽鑑賞、相撲・・・。
職場で席を確保しているようで、1万以下のメニューなら無料(職場が負担)で、そういったものを鑑賞できるというものだ。

3年前、よく分からなかったが「シルクドソレイユ」というサーカス(?)を見に行った。しょーもないものかと思ったが、観劇以来、あのアクロバットの完成度の高さに感動した。もう一回、別のストーリーの舞台を観てみたいと思うにいたる。

2年前、セロの音楽がすきなことから、ヨーヨーマの生演奏を聴いた。音楽自体はあまり、心に来なかったが、コンサートホールでの音の響きに驚いた(マイクを使わずとも生音がズンズン迫る)。

今年、レミゼラブルのメニューがあった。TVなどを見ているとよく題目は聞くが、時代背景や舞台となる国、ストーリーはとんと知らない。でもまぁ、ともかく観てみるか、ほぼ無料だし・・・と思い、一週間前観てきた。

観ている最中、もしかしてレミゼラブルは、ミュージカルという範疇のものでははないか?と思った。
ストーリーはまったく知らない。しかし、主人公の「ジャン・バルジャン」はどこかで聞いたことがある。勝手な想像として、レミゼラブルは広告の絵からして、ジャンヌダルクのような話かと勝手に想像していた。しかし、どうも違ったようだ。
・・・。

劇中、会話は全ての歌で行われ、聞き取りにくい・・・。そのため物語の展開に不思議が一杯。
その結果の感想。なんだか歌話聞き取りにくいし、話も無理がある。ただ、舞台装置の切り替えや照明などは考えているなぁ。そこまでの話だった。

しかし、時間がたつにつれ、あの話に興味がわき(演劇中の会話が聞こえなかったがゆえ、物語の全体像がつかめなかった。そのため、物語の内容を知りたい)、ネットで「レミゼラブル」を調べた。そしてレミゼラブルは「ああ無情」のことだと知った。それなら、漫画で見たことあるか、教科書に載っていたか、小学校の観劇で観たか・・・。それでジャンバルジャンという名前を聞いたことがあったのか。
アマゾンプライム会員の私は、ネットを介して「レミゼラブル」の映画を無料視聴できた。
その結果、レミゼラブルという物語が面白いこと納得できた。
映画と歌を歌を比べると、生歌を歌っていた彼らは確かに上手だった。観劇中、鳥肌がたった歌もあった。

そんなことから、レミゼラブル鑑賞に際し、少し後悔。
もう少し、下調べしておけばよかった・・・。
いまでは、出演者が変わると物語の印象がどう変わるのか?知りたいと思い、別の出演者のレミゼラブルをみたいと思うにいたる。

この歳にして食わず嫌いを実感する。

この歳で気付き始めたこと・・・

学生時代に勉強する
ということだが、最近、我が身を振り返りもしかしたら・・・と思うことがある。

ときどき、大学生との会話の中で「授業でやっていないからわかりません」ということばが返ってくる。98年慶應大学の学生さんとの会話で「パソコンを組み立てることは授業でやっていない」という返答がきたことがある。07年のヒマラヤで東大卒の方に「リモートセンシング」についてどれくらい知っていますか?と尋ねたら「授業で一通りやっているので、だいたいは分かります」との応えが帰ってきた。そういった言葉を聞くたび、酷く違和感があった。
「なんだそれ?」

私が大学の授業を思い出し、そのことで得たことといえば、
教養の授業で知った学問という世界観(こんなことを真剣に考えている人たちがいるのだという新鮮な驚き)
指導教官とのやり取りを通した物事の考え方
学びは気付きで始まり、それ以降の具体的な学びは自己修練だった思う。
具体的な学びを誰それに教わった感覚はない。

私にとっての大学という枠組は、大学本来の教育機会以外の部分が大きい。「自分で考えたことを、実行に向けて計画をたて、それを実現し、達成する醍醐味」を知り、修練を重ねる時間を提供してもらった尊い枠組こそが私にとっての大学だった。

そして、振り返ると高校生のとき
夜明けとともに目が覚めて、くたくたになるまで部活をして、暗くなったらギターを弾いて寝る。試験期間になると、2週間位勉強してはみるが、いまさら理解が進むわけでもなく、成績は低空飛行。宿題がだされても、数学は、問題集の最後のページをみながら、解法が理解できそうなものは適当に写し、理解できないものは白紙。英語は、訳せないとして、手を付けず・・・。

中学のときは、高校進学への具体的なことはなにも考えず、ただ兄貴の歩んだ道の後をつけ
高校のときは、大学進学への具体的なことはなにも考えず(考える概念がなかった)、ただ兄貴の歩んだ道の後をつけ
大学のときは、その後の人生を考えず、ただ夢中になれることに没頭した。
そして、いま50を越え、いまだ脳天気なままだ。

皆そんなものだろう。そう思っていた。
けれど、それを最近疑いはじめ、もしかしたら自分は「普通でない」のかもしれないと、いままで思い込んでいたことに疑問を持ち始めた。そしたら、いろいろなことの辻褄が合い始めるような気がする。

だから、「大学で学んだから知っている」、「大学でやっていないから知らない」と堂々と話す人々こそ、真面目に忠実に、やるべきことをやってきた理想の人なのかもしれない。そんな人々に魅力を感じなかったが、それが大学生になっていく人の標準なのかもしれないと思った。

もしかしたら同級生は、高校では普段から、予習・復習をして、宿題をこなしていたのかもしれない・・・(皆勉強していないと思っていた)。
もしかしたら同級生は、大学では授業の復習をしていたのかもしれない(そんなことをする人はいないと思っていたが・・・)

季節のスピード

最後のセミの鳴き声がいつだったのか・・・。
この季節、いつもなら「あっ、昨日が最後のセミかな?」という感覚を持つのだが、今年に限り、その感覚がなかったような気がする。あっちこっちに出かけて、慌ただしかったせいだろうか。

今年の秋の深まりはいつもより早いのでは?
通勤路の柿の熟し方を見て思った。

ことしも沖縄に柿をおりたくなってきた。
タイミングを見逃すまい。

ガンダム

この夏、自分がアマゾン プレミアム会員だと知った。
そして、プレミアム会員の特典として、有料無料の動画が居ながらにして見れることを知った。

そこで、
「君の名は」「この世界の片隅に」というヒット映画を見た。
そしてついでに目についた「ガンダムオリジンⅠ~Ⅳ」を見た。

その結果、ガンダムをより知りたくなった。
今は秋。あれ以来初期のガンダム(アムロが主人公)を見続けている(まだ途中)。
これで、人生三回目のガンダムだ。

1つは、10代。中学生のとき、部活を終え、家に帰りガンダムを見て、塾に行った。
2つ目は40代前半。学生がガンダム好きが多い理由を知ろうと、ガンダムを見た
そして
3回目。今、物語の構成や見せ方を知りたくて見ている。

自分が本を書くようになり、ガンダムからいろいろと考えさせられることが多い。

手塚治虫の漫画は評価が高いが、私にとって彼の漫画は、その場ののりでどんどん物語が変わっていく。だから、そこから学べるものない。彼が、世間で評価される理由が分からない。あえて言えば、漫画のパイオニアとしての評価か・・・?!

一方、ガンダムは、ガンダム放映後30年以上して、オリジンが作成された。初期のガンダムの背景について説明する映画だ。つまり、初期の物語の骨格がいろいろ練られていたからこそ、振り返ってさらに話が展開できる(つじつまがある)。物語はすごく複雑だ。しかし、全ての事象は関連づけられている。しかも、初期のガンダム以降のガンダムは、そこからさらに物語が複雑に・・・。

そんな、過去と現在の物語のつじつまがあっているのを、発見するたび、ハッとする。学びが多い。
「こんな時代が果たしてくるのか?」「地球を構成する元素には鉄が多いが・・・」「エネルギーの重要性」「ドローンのように自己コントロールするマイコンを知っているゆえ、モビルスーツの制御」「・・・」いろいろ考えることで、自分の視野が少しは広がるような気がしている。

AKB48の秋元康に感嘆するが、ガンダムの作者達にも感嘆する。

まだまだ、私も開拓すべきところは沢山あると、ガンダムを見ながら実感している。