月別アーカイブ: 2018年4月

山小屋予定地の春

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例年に比べ今年の雪は一日に降る量が多かった。おかげで、「今しかない」と無理に雪下ろしに数度出かけた。最後の雪下ろしをしてからもどか雪が降った。・・・。もしかしたら、小屋がつぶれているかもしれない。そんな気持ちで4月を迎えていた。

今日、パトロールに行ってきた。小屋は無事だった。

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円形の白山にはまだ雪が積もっているが、山小屋周辺の雪はほぼ消失。近隣は山桜が今は盛りに咲いていた。

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一方、我が小屋周辺の山菜は、知らぬ誰かに乱獲されていた。
タラの芽はことごとく芽を取られていた。どーユーモラルなのだろう。

森林計画今昔

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このところ、昭和20年代くらいからの日本の森林計画について調べている。目的は日本の森林資源をどうやって把握してきたかを整理するためだ。

古人の取組を知れば知るほど、今人との格差を感じる。特に公務員について思う。

たとえば、県職員になるには公務員試験がある。公務員のうち林業関係者は技術職として専門知識に関する試験がある。だから、林業の技術職として採用されたら、定年まで技術職畑を歩くことになる。

古人の取組を知るにつけ、これは激しく技術職だと思う。高度に専門知識を駆使し、葛藤・悩みを持ちながら、日々日本の林業のことを考えている。

でも最近はどうだろう。林業行政に係わる人は、技術職というよりも事務屋だと思う。

何でなんだろう。林業に魅力(世間に注目されなくなった)がなくなった。これも1つの要因だろう。
でもそれ以上に、昭和20年代の進学率と最近〔私の頃を含んで)の進学率との違いも要因だと思う。問題意識と能力があり林業に係わった昔に比べ、いまは受験の都合で進学してくる人が殆どだ。問題意識も処理能力も昔と比べて劣っているのでは?

また、最近大学で林業を教えることは殆どないが、ほとんど教わることがない人が、公務員試験を受けて入庁する。職業としての林業人になっている。

さらに心配なのが、今、林業はどのようなことを配慮しなければならないかを語れる教員がいない〔たぶん)ことだ。
林業が衰退し、林学は斜陽の学問となり、学ぶ人、教える人の質は下がらざるを得なかった。そこに来て酸性雨・地球温暖化がクローズアップされ、もともと林業を飯のネタとしていた研究者は、日の当たる環境に鞍替えした。鞍替えしたことで、学科の名前も変わり〔林学→森林科学や応用生物)、林業を考えたことない教員が流入。10年前までは、林学を看板にしていた大学も、ほとんど環境を看板にするようになった。
ところが、このところ行政が林業のてこ入れをはかるためあの手この手の助成を始めた。すると、環境にどっぷりだった人が、突然、林業と言い始める。
大学の先生は便利なもので、林業を考え(浅い考えは合ったかもしれないが、一般論以下)たことがなくても、有識者として担がれ、林業を知った気になる。そして、行政・大学ともにあらぬ方向に動き出す…。現場を知らぬ行政や大学をコントロールするのは、一部の民間団体。

そういった環境で大学生活を送り、林業について発信する公務員になっていく。

私にはそんな図式に見える。これからが心配だ。

初夏の足音

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今日の長良川の川面では、新米船頭さんの研修が行われていた。
若い女性が、動力なしの船を全身をつかって櫂をあやつり、着岸、離岸の練習をしていた。

対岸には、鵜飼観覧線のゴザでも風通しさせているのか、着岸した船からゴザのようなものが降ろされ、組まれ、ほされていた。

5月11日が鵜飼のスタート。

文章

最近の悩み。
文章書き。

私は作文が苦手〔嫌い)だった。しかし、大学生のころ、アウトドアをする内に、著述をする冒険家を知り、そんな活動を面白いと思うようになった。そんなことで、20才を過ぎてから文章が書けるようになりたいと思った。

それなりに自己修業した。
サラリーマン時代、毎晩午前様のご接待の日もあったが、それでも文章修業をしようと時間を作った。
素敵な文章とおもった「梅棹忠夫の 東南アジア紀行」を手書きでまるまる写したこともある。

26才くらいで初の1万文字越えの文章を書いた。

それがいまでは・・・。長い文章を書くことはとくに難しさを感じない。

ただ・・・、この年になっての行き詰まり。
どうやら私の文章の書き方は
ともかく、書きたいテーマで、思いつくことをガバーッと書いて、その後、削って、削って・・・・。こんな感じ。

ところが、この方法をとると最初の3分の1~2分の1くらいのサイズの文章が最終原稿となり無駄が多い。この時間の無駄を改善したいと思う

しかし、そんなことよりも不思議なのは、昔の人はどうやって文章を書いていたのだろうかということ。最初から文字数を念頭に入れて文章を書き出したのだろうか(パソコンを使えば、削除や訂正はらくだが、筆や万年筆のときは、そうはいくまい)。

あーーー、昔の人のような文章の書き方が出来るようになりたい!!!

初夏への準備開始?

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窓から見える伊吹山の雪は溶け、桜はほぼ散った。
透明感ある冷たい空気の向こうには、眩しい新緑。

あー今日は、昨日の雨で長良川の水かさいつもより多いなぁ。

小牧の住宅街にはない季節感を実感。やっぱり、これかな私が求めているものは…。

階下の長良川では、鵜飼い船の試運転だろうか。港に車や原付・自転車がおかれ、本流に数台の鵜飼観覧船が浮かんでいる。

新緑が終わりに近づけば、鵜飼(動の長良川)がスタートだ。

ペアガラス

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今日、家のガラスをペアガラスにした。
やっと念願叶った。

以前、民間企業で建材の営業をしていたとき、ペアガラスの存在を知った。
しかし、ペアガラスは自分とは別世界の話だと思った。

10年くらい前、マンションの総会で、ペアガラスの紹介があった。そのとき、現在のガラスをペアガラスに変えることが出来ることを知った。しかし、値段がはりそうだったので、取り替えることを思いもつかなかった。

その後ヒマラヤに2回行った。そして、ヒマラヤの人々は満足な暖房がなく、それでも生活していることを知った。そして、寒くはあるが我慢すれば問題なく健康でいられることを実感した。
ヒマラヤから帰り、脱暖房生活を始める。

3年前、小牧の戸建てに移住した。ここでも脱暖房のつもりだった。
ところが、戸建ての家は寒くて暑いことを知った。暖房なくして生活できない・・・。

この1月に、元いたマンションに戻った。
・・・もしも、マンションのガラスがペアガラスだったら、脱暖房といえど快適に脱暖房できるに違いない!

工事をお願いした。ところが、待ったがかかった。

マンションの窓は、共用部分で、所有者がかってに変えることができないことを知る。
とくに、北向きの開口は透明かた網ガラス〔上写真)がはいっているが、それと同じ見栄えのガラスがペアガラスにない。磨り網ガラス(下写真)がその代替品。となると、建物の意匠が変わるから・・・。
それでやっと、3月末の総会で住民の方の理解を得て、交換を認めてもらった。

3月工事が遅れたが、本日完成。

もう、暖かさを必要とする季節ではなくなったが、なんだか防音性能が上がった気がする。

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あっという間に四月

明けましておめでとうを言ってから、すでに3ヶ月が経ったとは。
季節もめぐり、はや4月。

1月末に岐阜に戻ってきてから、2ヶ月が過ぎた。
まだ、通勤のリズムが確立出来ていない。
高速を使えば、早いときには50分。
下道を使って、時間を誤れば1時間40分。
いつ、どの方法をつかうといいのだろう・・・。
通勤時間をどうするかは、大きな課題だ。

しかし、日々の暮らしや、休日は岐阜のほうが気分がいい。
山が見えるからか?
川が見えるからか?
マンションで見晴らしがいいということか?

なにが、どれくらい気分に影響しているのか分からないが
確実に言えるのは、
ジョギングは平らな大地を走るので、走りやすいことだ。
小牧では、起伏を前に、走るに相当の覚悟がいった。

走りやすくなったので、今回こそ、体重減を目指そう。
目指せ、63キロ(いまは67.5キロくらい)。