空気が薄いということを体験したことがなかった私。まぁ、ガッツと根性で解決できないことはないだろうと思っていた。しかし、実際行ってみるとちょっと坂道を登っただけでも、ゼイゼイしなければ死にそうだった。しかも、このゼイゼイ、単に下を向いてゼイゼイしているだけではダメだ。胸いっぱいに空気を吸い込み、胸がはちきれるまで空気をいれてゼイゼイしなければ、息継ぎをしないで50mプールを泳ぎきる45mからの苦しさ・・・。
僕ら平地の民(平民)は、シェルパ民族に脱帽せざるをえない。上の写真は僕らのキッチンスタッフの荷物である。彼らは水の入ったポリタンク、食材、食器、などを背負い、ゼイゼイいって亀の歩みの僕らを、たとえ朝後発しようが途中で抜かしていく。息も乱さず・・・。
たとえば、この写真。標高3800m付近、シャンボチェ空港からナムチェバザールへ降りる山道の何気ない風景。もちろん、車など通る道はない。したがって、物流は全て人力。建築材料などになる「木材」は近くにない。そこで、この地域は石材が建築材料の主流だが、その石材もこうした人海戦術で一つ一つ人間の手で運ぶ。
資材の産地と使う場所がちかくでない、木材など、これだって人力で運ぶ。僕が平地でも2枚くらいしか持ち上げられないような分厚い大きな板。そんな板も5つまとめて、持ち上げた上、数日かけて4000mオーバーの場所を運搬していた。長さが7m、直径25cmくらいの塩ビパイプだって、インドの大蛇使い以上の迫力で黙々と運んでいた。車がないってことは、僕たち日本人には信じられないが、ココでは普通。こんなのトラックなしでどうやって運ぶのかとおもうようなものでも、彼らは人力で峠を超え、谷を越えていた。トラックで運べないもの?そんなのは使わない、必要ない世界だ。つまり、重機もないから工事だって、人力でできる範囲の建築スケール。
僕らトレッカーは自分の着替えと水筒・カメラ等を入れたリュックくらいしかもてない。それ以上は耐えられないくらい重く感じる。じゃぁ、着替えや仕事の機材はどうするか?といえば、ポーターと呼ばれる運びを仕事とする人たちにお願いすることとなる。僕らの荷物、日本の空港から出発すとき、つまり僕らが平地で重たいなぁ~とおもう荷物でも、彼らは2つ、3つと信じられない方法で運んでいく。リュックの肩紐を使うことなく、複数のリュックを紐で強引に結び、または竹かごに入れ、全ての重みをデコでささえる。僕らがこの荷物を平地で担いだら・・・。きっと立っていることさえできないだろう。
そんなたくましい彼らに驚嘆してばかりいられない。彼らを見てすぐにおもったことは、あれだけ体を酷使すれば寿命がさぞ短かろうとうこと。ああすることしか、仕事がない(自給自足では生活はできなそう)。逆に、あれをすれば家族を支えられる。父ちゃんたちは毎日朝から日が暮れるまで、重い荷物を背負って山道を往復する。
ポーターの日給をネパール人に聞いてみた。一日だいたい500ルピーだとのこと。しかし、それは食事や宿泊は含まれてない。宿泊だって、彼らはロッジではなく、そとで寝る。食事だってお金を節約するため粗末なものしか食べないそうだ。きっと家族に一ルピーでも多く持って帰るためそうするのだろう。英語が話せれば、シェルパというガイドの仕事もあるのだろうが、教育を受ける機会がなかった彼らは、こうして毎日おもい荷物を背負って死んでいく。
でも彼らの表情には悲壮感がない。
こんなつらい仕事(もしかしたら、やっとありつける仕事)も、実は厳冬期と雨季にはトレッカーが来ないため、一年のうち半分以上はなにもすることがない。しかもトレッキングのシーズンでさえ、仕事がありつけるかどうか分らない。僕たち文明人は日給×365日で収入を計算するが、かれらの場合は、日給×180日×仕事にありつける率である。500ルピーが高いか安いかわからないが、僕らが高い安いというべきではない気がした・・・。
ここに来る前は、ポーターだって最小限、キッチンスタッフだって自分たちで自炊して、宿泊だってテントで・・・、僕が学生の頃やってきたような貧乏旅行の感覚をもってヒマラヤに入ったが、ヒマラヤの国情や同じ人間としての生活を考えると、僕らが彼らにできることは、多くの人に雇用の機会を提供すること、そんな気がしてきた。