回想ヒマラヤ13 非日常その7

空港 10月31日カトマンズの空港に降り立った。初めてのネパールだ。なんといってもネパールの玄関。そんなに勝手が違うこともあるまい。
 これまで行った海外でビザを必要とする国はたぶんなかったと思う。しかし、ネパールの場合はビザが必要だ。あらかじめ日本の大使館に申請する必要があるのかと思っていたが、それは現地の空港で、少し並べば購入できるということだった。まぁ勝手が違うのはそれくらいだろう。そう思ってネパールに入った。
ビザを買うために並んでいたため(おまけに必要な顔写真を持っていなかったので、だいぶ焦ったが・・・)、少々入国審査が遅れたが、なんとか通過できた。しかし、遅れて出たために、もう荷物の受け取りのベルトコンベヤーにはほとんどの荷物が運ばれていたようだ。私は自分の大量の荷物を探した。すると7小口くらいの荷物のうち既に5つくらいの荷物は、かためておいてあった。ちょっとだけ「?」と思ったが、まぁ、誰か係りの人が荷物のタグを見て善意でそろえてくれていたのだろうと思った。私は残り2つの荷物が流れてくるのをまった。そして2つの荷物を発見した。しかし、7つの大きな荷物である。手で持っていくわけにはいかない。そこでカートを探した。
 すると、運よく私のほうに笑顔でカートを運んでくる見知らぬ人がいた。「誰だろう?」とはおもったが、何しろここは空港の中、税関の手前である。そんな空港の税関の前段階のところまで出入りできる人は、私の概念からすると「空港職員」に違いない。そう思った。やがてカートを持った2人組が私のもとにやってきて、7つの荷物をカートに載せ始めた。「ちょとまってくれ」。私の人生哲学は「他人の善意に頼ってはいけない。善意は気持ちだけ受け取り感謝し、労働は自ら行う」である。だから2人組みが荷物をそれぞれ1つづつカートに乗せたところで、私は自ら汗を流すべく、彼らの善意を断って自分でカートに荷物を積んだ。そして、仲間に合流すべくカートを押し始めた。
 すると二人組が僕の服を引っ張る。「?」と振り返る。彼らのうちの一人が、右手を自分の胸の位置に持ってきて、親指と人差し指を擦りながら、僕に何かを合図した。「?」。なんだろうと思い考えてみた。・・・なんだろう・・・。しかし、どう考えても状況からすると「チップをくれ」である。しかし、しかし、税関前ではないか?どうしてそんな一般人がそのエリアまで入り込むことができるのだろう。私はネパールという国は私が知る国とはまったく勝手が違うと思い、ポケットから両替したばかりのネパール紙幣をだした。まぁチップである。このくらいの金額でいいだろう。出したのは20ルピーくらい。すると彼は首を横に振る。「?」。「なるほど、これは少ないというアピールか!」私は50ルピーをだした。するとこれまた首を横にふる。いったいいくら払ったらいいのだ?私はポケットの紙幣を取り出し眺めていたら、彼は私の紙幣を指差し「二人分だ、これをくれ」という。900ルピーである。900ルピー札を巻き上げられた。私は、かなりショックだった。900ルピーといったら日本円で1800円。ネパールという国情からすると大金ではないか!この件でネパール人の善意を疑うようになってしまった・・・。(もっとも私は900ルピー札とは変な割り切れない数字の札だと不思議に思っていた・・・。いずれにしても、このショックをKOのF先生に話した。すると彼はいった。あんたねぇ、900なんて札があるかいな。よくみてみぃ。100やで。確かに良く見れば先ほどの札は100ルピー。ネパール文字の100が900にそっくりだったのだ)

 こんなこともあった。カトマンズの空港。ネパールの玄関口。国際空港。その空港からチャーターヘリでシャンボチェ空港(ナムチェバザールの近く)に飛ぶために、カトマンズの空港、国内線乗り場に行った。私は、便意をもよおした。なにしろココはネパールである。ウンコ紙を持って・・・。私は感極まった状態で用をたし、その後始末にかかった。「ん?水洗レバーがないぞ?」まぁいいやきっと水ダメがあり、そこから手桶で水を汲み取り流すのだろう。「あれ、水ダメがない」。でも手桶がある。状況判断からすると便所の個室の壁についた蛇口をひねって水を出し、手桶で受けて、「ウンコ」を流すのだろう。私は知ったかぶりで蛇口をいじり(通常日本で見る蛇口と形が違った)水をだした。そして、ブツを流した。さて、トイレから出ようと思ったが、水が止まらない。おかげで便所の床は水浸しになっている。蛇口からどうやって水を出したのか覚えていないから、水をどうやって止めていいのかわからない。試行錯誤を一分ぐらい続けた。しかし、水はとまらない。このまま便所から出て知らんふりすることもありえるが、それにはあまりに水の勢いが強すぎる。・・・。困った・・・。ちょうどそのとき、便所の掃除のおじさんがやってきた。私は便所掃除のおじさんに助けを求めた。彼は簡単に水を止めてくれた。「サンキュー」といって立ち去ろうとすると、便上掃除おやじは、またあの見覚えのあるポーズをした。手を胸のまえに持ってきて、親指と人差し指を擦った。なんと、この親父チップをようきゅうするのかぁ~!だいぶショックだった。彼に20ルピーを渡したが、そのオヤジ、うけとった瞬間、舌打ちをした。

 さらにこんなこともあった。シャンボチェ空港にいくための国内線搭乗前の荷物検査、まえの西洋人は非常に厳しいチェックを受けていた。荷物は全てあけられ、ひとつづつ「これは何か?」とたずねられていた。西洋人はそこで「アーミーナイフを没収された。機内持ち込みはだめだと」しかし西洋人はねばった「なんとか機内持ち込みではなく、手荷物預かりに回すから許してくれ・・・」などといいながら交渉していたが、検査官は首を立てに振らず、西洋人はなくなくアーミーナイフを手放した。私はそれを見ていて、このはなかなか厳しいぞと思った。となると、私はビデオ・パソコン・GPSなど見るからに怪しい荷物を持っている。いちいち聞かれて面倒くさい。覚悟して検査官に挑んだ。もっとも怪しくみえる荷物を彼に示した。するとその彼は、まずそのケースの中にあったボールペンをチェックした。えーー、ボールペンからチェックされるのかぁ~と思い、気の遠くなりそうな検査でうんざりした。しかし、彼の話を聞いてみると、信じられないことだが彼はこういった。「このボールペンは俺のものか?」。私はわけがわからなった。でも、まぁいい、あんたにあげるよといった。すると彼はうれしそうに私のかばんの中のボールペンをポケットに入れ、あとの荷物の検査もせずに私を荷物検査から解放してくれた。

 とにかく、カトマンズで人間不信に陥り、かなり傷心した。

ヒラリースクール さて、シャンボチェ空港からナムチェバザールに入り。ナムチェバザールで高度順化のため3日間滞在した。その間に、ナムチェ付近の標高が少し高いところにいって体を慣らす。そんなあるひ、クムジュンというシェルパの町にいった。ここには、エベレスト初登頂者の「エドモンド・サー・ヒラリー」が立てた「ヒラリースクール」がある。シェルパへの感謝の気持ちからシェルパの教育をになおうという社会事業だ。ヒラリーは山登りするものにとって「神」に近いヒーローだ。そんな彼のつくった学校の横を通った。学校では子供たちが屈託ない笑顔で走り回って遊んでいた。シェルパに学校にはいってもいいかと聞けば、どうそという。そこで神の学校に入った。笑顔の子供たちが寄ってきて、デジタルカメラをものめずらしそうに眺め、デジカメで撮った写真を彼らに見せると彼らは完成をあげる。もちろん、私も彼らの姿をとりたかった。でも・・・、カトマンズのことがある。あの笑顔の子供たちの写真を撮ったあと、あの笑顔の子供たちからチップを要求されたら・・・。チップを払うことはなんでもない。お金の問題ではない。もしもあの素敵な子供たちからそんなことをされたら、僕は立ち直れないほど人間不信になる。それが怖くて彼らにカメラを向けられなかった。

結局、子供たちはチップを要求することなく、デジカメにうつる自分たちの顔をみて、純粋に喜んでいたようだった・・・。よかったぁ・・・。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です