二条城 ああ、勘違い

二条門 昨晩、風呂に入りながら京都を何回訪問しただろうと考えていた。最初は、ばあちゃんの納骨に東本願寺に行き、京都タワーに上り、記念コインを買ってもらった、おそらく小学校4年のときだ。次は、小学六年生の就学旅行。その後、大学1年生のとき船で大阪から沖縄に行ったときの帰り、京都の大学にかよう友人に泊めてもらった京都ステイ。その後、会社を辞めてから・・・。いろいろ思い出すが、もう覚えきれない。学会や会議や打ち合わせ・・・。さて、京都に何回いったのだろう。そんな中、修学旅行の京都で、どこに行ったのかだけはよく記憶している。三十三間堂、清水寺、金閣寺、平安神宮、そして二条城。(ほかにもいったかもしれないが)。

 さて、二条城に足を運びたくなるモチベーションはひとつ。仕事がら「森林資源と建築様式」に言及することがある。森林資源の潤沢なときは木を贅沢につかうが、森林資源が脆弱になると家の柱は細くなる。海外に残る古い家並みを見ると、そのことがよくわかる。日本でも然り。これは人の受け売りだが、戦国時代多くの寺院・城郭・町屋が戦乱で焼けては建て、建てては焼けて、となっていた。すると、京都の周りの山々は禿山になり、柱一本つくるにも遠くから木材を運んでこなければならなくなった。そのため戦国時代末期までは、絢爛豪華を売りものにした建物が多いが、それ以降の建物は簡素を売りものにするようになった。前者の最後が二条城で、後者の始まりが桂離宮。それは単なる建築様式の変化をともなっただけでなく、日本人の美意識の変革も迫るものだった。
 なーんて、話をすることもある。

 そんな二条城ではあるが、私は小学校のころの印象しかない。大政奉還の場所として正装した丁まげ姿の人形が正座して、正面の将軍と思しき人形に向かっていることしか思い出せない、二条城。これではいかん。この目で見ないと・・・。

 御所から、さらに西南西の方角に歩き出した。途中、思ったよりも二条城が遠いように感じ、「まさか、道を間違えた?」と思ったこともあったが、「二条城」と「御所」とを家茂や慶喜が往復したことを考えると、そんなに遠くはないはずだ!それを信じて歩き続けた。朝のお勤めを済ませていない(トイレ)私は、近所の公園などを探したが、案の定、探すとなかなか見つからないトイレも、あと少しで二条城。絶対にトイレがある筈だ!と迫る危機に不安で脂汗をかきながら登城を目指した。

 あった。これだなぁ。

確かに城 私の理解では二条城は城と言えども、お寺のような一階建ての大きな建物があるだけで、城とはいう名ばかり城という理解だった。確か昔お寺だったところに堀だとか塀だとかを補強した・・・。しかし、目の前には大きな堀がある。あれ、何んだコリャ1。受付を通り、トイレを探すが、まわりの景色はあきらかに「城」である。何だコリャ2.・・・
 さて、小学校の修学旅行で入った「寺のような建物に入った」。二の丸御殿というらしい。私は手にしたパンフレットでようやく理解できた。二条城は城であり、天守閣は火災で燃えて再建されないまま幕末を向かえた。そして幕末の大政奉還は二の丸御殿という建物(私が寺のようだと思っていた)で行われた。そうか、私は自分の印象とその後どこかで読んだ「本能寺」とが同化してしまい、二条城⇒寺のような建物(二の丸御殿)⇒お寺⇒本能寺⇒寺を改良した城郭(づくり)の建物、と理解していたようだ。これはまずい・・・。百聞は一見に・・・というが、そのとおり。

 二の丸御殿から出て奥にいくと本丸跡(天守跡)もあり、ちょっと小さめだが確かに平城だ。なるほど、世界遺産ねぇ~。

 さて、おっさんになって改めて二条城にあがると、いろんなことに「気づいた」。そのひとつが、二条城が世界遺産だ、ほれなんだといわれながらも、私を満足させてくれるような解説がどこにもなく、「この間(ま)は、何々の目的で使っており、絵は誰々がかいた絵で」というだけ。私は、もっと時代背景や建築や絵画の背景など、目の前の事象の必然性を感じるための素材が欲しいのだが、「書籍の販売(通常美術館、博物館などにいけば、かならず本を買ってくる)」も見当たらないし、解説もない。私は単に小学生の団体や外国人の団体の人の波に流されて、入口から出口まで、溺れずにかろうじて泳ぎ着いたという感じだ。もっといい展示法があるだろうに。そう思った。しかし、いま書いていて気づいたが、もしも、そのような解説所を設けたとしたら、人の動きがとまりパニックになるのでは・・・。となると、ボランティア解説者のご出陣・・・。いや、目の前に行きかうひとを見たら、これでも人は足らないことが用意に想像できる。いまそう思うに至った。
 つまり、世界遺産と囃され、人が押し寄せる「文化遺産」では、見物人の対象を「不特定多数の物見遊山の人」にせざるをえなく、それから漏れる人は、熱意を持って自助努力で自分の好奇心を満たせ、ということか・・・。そんなことを改めて気づいた。

遊びの土間 しかし、そんな二条城だが「ただ、見るだけでも、”おかし(風流)”なものがあった。縁側から庭に下りるための沓脱石と縁側の土台柱との”あそび”だ。沓脱石にあわせて柱を刻んでいる。現代的にはこんなことをしていては手間がかかるので、通常の住宅では沓脱石を小さくして柱をまたがないようにするか、それとも沓脱石を前面に出してすべての柱を同じ長さで工事できるようにするかだろう。しかし、ここはちがう。風流な遊びごごろ。大工や作事奉行にこころが共鳴する。

土プレゼント さて、一方で”可笑しい””おかしい”ものも目にした。なんでも二条城祭り期間だそうで、「二条城土プレゼント」というイベントもあった。もちろん、そんなものを貰って帰る余裕はないが、世界遺産の一部を配るほうも配るほうだが、流血騒ぎだらけの京都の土を貰うほうも、貰うほうだ(笑)。

 さて、京都。御所、二条城、それぞれ知りたいことを調べていけばもっと面白いと思った。それぞれ一箇所で一日十分満足でき、リフレッシュできる。残念なのは、京都にはそういった面白そうな場所が多すぎることだ。あと、何回私は京都にくるのか。積極的に来たとしても、満足しきることはないほど、奥深い。そんな京都を40過ぎて初めて知った。

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