最近、時間の合間を見つけて読み始めた本がある。10月ぐらいに「ルポルタージュの書き方」のような本を読んでいたとき、その著者によって書かれたほかの本だ。ルポルタージュの書き方の本の中で例として上げられていた彼の筆が、あまりにも生々しく、迫力があったのでインターネットで彼の本を検索して買った。タイトルは「日本領サイパン島の一万日 野村進」。
昨年、正月プライスで燃料別で19800円でサイパンに行った。ヒマラヤ帰りで暖かいところに行きたかった、それだけの理由だ。暖かい風に吹かれて浜辺で潮騒を聞きながら読書をしたい、そんなところだ。19800円なら、沖縄、屋久島、小笠原よりも安いではないか。
それまでのサイパンの印象は、賑やかなリゾート(私には無縁)。戦争に負ける前まで日本人が多くすんでいた。そして、詳しくはわからないが、悲しい歴史がある。その程度だ。
しかし、昨年サイパンに行ったとき、印象と大きく違った。JALの直行便がなくなったことにより観光客は激減。町を歩けば客引きに日本語で呼び止められる。そして、時折見える戦争の影。
私は戦争の影。当時これが気になっていた。原始人の話、戦国時代の話、幕末、大戦・・・。いつもそんな話を目に耳にすると「わが身を置き換えて」「おれだったら・・・」と妄想している。
たとえば、グアムにいったことがある。そのとき海岸に残った塹壕から海を見たとき、もしも自分が日本兵でアメリカの船をこの塹壕で発見したら、気持ちはどんなんだろう、そんなことを考える。しかし、私が見たサイパン、どうも雰囲気がそんなのでは収まらない大きなものを感じた。だから、その背景を知りたく帰ってきてからインターネットでサイパンのことを調べた(昨年3月のブログで報告してあると思う)。
そんなことだから、サイパンのことを知りたい気持ちと、野村進の本に興味があるのの両方で「日本領サイパン島の一万日」を買った。
まだ、途中だが・・・、サイパンの歴史、スペイン⇒ドイツ⇒日本の変遷、当時の日本の背景、サイパンの軍事的重要性、そしてなによりも、そこに生きた人々の背負った人生・・・。・・・まどが、わかってきた。
ガラパンという繁華街。彩汎神社(サイパン神社)、精糖、テニアン・ロタ。まだ途中までしか読んでいないが、山形でくいっぱぐれた男が流れ流れてサイパンにたどり着き身を起こした人物とその取り巻きの人々の昭和10年後半の息遣い、日々の会話。町の明るさ、暗さが手に取るように投影される。いま、風呂やトイレやコタツの中で「安全」なところで、激動のサイパンを疑似体験している。
また行きたくなっている・・・。