国敗れて山河あり

 国敗れて山河あり、城春にして草木深し。・・・だったかなぁ。

 今日、仕事上のヒントを得たくてお世話になっている方のお話を伺いたく、名古屋にいった。その方の自宅とバイクを購入したショップは遠くはないので、せっかくの名古屋だから、まえから気になっていたバイクの調整をしてもらうことにした。となると、当初は名古屋駅でお会いすることにしていたが、その方の自宅を訪問させていただいたほうが私の中ではハッピーなので、お会いする場所の変更をお願いした。

 さて、話を終え、バイク屋に向かう。バイク屋とその方の自宅を直線で結んだ戦場に、私が会社員時代に住んでいたアパートがある。3畳の流し、四畳半、6畳の間取りで風呂と便所が別。ただし、キッチンには換気扇はない。風呂にはシャワーはない。タイル張りの風呂。便所もタイル張りで、水洗便所といっても水がめを上につってある年代ものの建物。サッシではなく、木製のまど。隙間風もひどい。また、寝ていたときに「ドンッ」と大きな音がしたので、電気をつけたら、壁がはがれて落ちていた。おまけにとなりの家の明かりが漏れてくる。そんな家だ。

 お話をしたあと、その方の自宅を出て、10数年前に通いなれた道に向かう。おー、あのトンカツやまだがんばってるなぁ。そういえば、当時高校生の娘さんが2人いたけど、彼女らももう30過ぎだなぁ~。おー、あのコンビになくなっちゃった。そんなことを思いながら、昔の家の前にきた。家のとなりのスーパーはまだやっていた。しかし、私の家は、アスファルトが引かれ駐車場に。そうかぁ、だいぶ古かったからなぁ。なんだから自分がしらないところで、自分の舞台が勝手に進んでいたようで、少々しんみり・・・。

 帰り道、矢田川沿いを走る。晩秋に走ったときは、大雨の翌日で、河川敷の打ちっぱなしのゴルフ場のネットが壊れていた。手をつけられないくらい荒れていた。けれどあれから半年、なにもなかったかのように元通り。なんだか、小学生の頃、アリの巣に水をぶっ掛け壊した後、けなげにアリンコがせっせと復旧させていた情景とダブル。いろいろなドラマが人生には起きるけれど、結局アリンコと一緒だ。
 
 国敗れて山河ありとはいうけれど、その現代版だなぁと杜甫や芭蕉の気持ちになる。そして、僕は夕日に向かい、流れる雲を仰ぎ見る。あー雲の流れが速い・・・。

 ところで、行きに道を間違い名古屋城の脇を通った。そこで改めてびっくり。名古屋城、なんちゅーでかい城だ。こんなところに大きな石垣、堀。これは太平の世の中だからこそできた大工事!改めて驚いた。毎日、岐阜城を仰ぎ見て暮らしていると、城の標準サイズのイメージが岐阜城になっていた。ところが、どうだ、名古屋城。これは化け物的な大きさ。築城にかけた日数も人数も桁違いの土木工事。しかし、いまは公園・県庁・・・。うむー、まさにつわものどもが夢のあと。

 まぁ、個人的には太平の豊かな時代の名古屋城より、激動の食うか食わずの野性の渦中にあった岐阜城のほうが好きだ。

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