サイパンのことを書こうと思ってもなかなか筆が進まない。あまりにも複雑だからとこから書き始めていいの迷っている。
さて、ルポルタージュという本は、作家が取材をして、あたかも小説のように出来事を叙述するノンフィクションの書き物だ。『日本領サイパン』はよく出来たルポルタージュで、あたかも自分のとなりにその人たちがいたような気持ちにさせてしまう。
取材をもとに当時の会話を復元させて、状況描写も劇的で・・・。改めて考えると、取材だけでは、そのような「言い回し」「表現」はできないだろうから、かなり作家の思い込みの会話になっているだろうなぁというところも数々ある。回想によって表現される会話ならともかく。たとえばこうだ。
『「ご苦労様でございます。閣下、おいそがしいんでございましょ」
と腰を低くして尋ねた。南雲は、
「ああ、ああ、よく来てくれた。副官からよく聞いている」
と気さくな調子で応じた。
「大変な仕事だろうが、物の配給というのは十分にやってもらわんとなぁ」
「はい、本気になってやっております。一切は南洋庁の指示を受けまして、そのとおりに動いております。何か御用のものがございましたら、いつでもご用立て致しますから、お知らせください」
二度目に尋ねたときには南雲のほうから、
「きみぃ山形だてなぁ」
と話しかけてきた
』
という具合に、取材からはこんな表現は拾えないだろうから、「半ば創作」と思われる部分もあるが、そんなのを割り引いてもあの本は強烈だった。
特にサイパンがドイツから日本領に変ってから、一万日をかけてゼロの熱帯ジャングルから、開発、繁栄していった過程。その後、第二次大戦が勃発し(本を読んでいたら、第二次世界大戦というよりも太平洋戦争という理解が、日本の戦争を言い当てていると思った」サイパン南部に上陸した米軍が、その後北へ北へと、日本軍と戦闘を交えながら北上していく。その中で、緻密に歴史には残ることが少ない、民衆の動きを描写しているその本。とかく戦争の歴史は政治家と軍人の視点で語られることが多い。しかし、その本を読むことで歴史に残ることが少ない、戦争に翻弄された商人の戦中記で、彼らの苦労を知った。常夏の楽園というサイパンにあって、戦争に蹂躙された彼らを大いに偲びたくなった。特に、米軍の北上でジャングルを逃げ惑う民衆の苦難は想像を絶する。
さて、本題。そこで今年のサイパンは何をしに行ったのか。
ジャングルを逃げ惑った当時の人々の苦労を理解するために、アメリカ軍上陸地点から日本人玉砕の地となったサイパン最北端の岬まで、総延長30キロくらいを走りぬけたくて、サイパンに行ったのだ。
ただ、昨年、中間の10キロはすでに走っているので今回は対象外(割と道路事情が悪くて危なかったので今回は割愛)。
南10キロと北10キロを走ろうと思ったのだ。
しかし、問題は10キロ移動しようと思うと、それは往復すれば20キロである。しかたなく、南10キロを走るために20キロ走ることを受け入れた。そして走った。激戦の後があちこちに・・・。海の中に戦車が朽ちているし、道端にも戦車・・・。書物によれば、血でそまった白い砂浜。いまではやしの木の木陰が延々とつづくサイクリングロード。しかし、確実に50年以上前、この地を恐怖で北上を続けた民衆がいた。
平和な世にうまれて本当によかったと実感する。