昨日は一日中、講義をしていた。さすがに一日しゃべり続けるとなるとしんどかった。自分へのご褒美で、昨晩映画を見てきた。レッドクリフだ。
レッドクリフ1では、「さぁ、これからクライマックスだ!」というまさにそのとき、続きは、「来年の春!」という終わり方をして多少ストレスを感じた。また三国志の脚本も私が知っている「人形劇三国志」「吉川栄治 三国志」「横光利一 マンガ三国志」での出来事と違っていて、「こんなの俺の知っている三国志ではない!」と少し寂しかった。
しかし、レッドクリフ2は「面白かった」。自分が知っている三国志と違うからこそ「あとから、なんどでも反芻して、どうしてあの場面で・・・」といろいろ妄想でき面白かった。
また、歳を重ねてきたからなのか、最近時代物を読んだり見たりすると、なんともいえない気分がする。
たとえば、赤壁の戦いの風向きを描いたシーン。孫権・劉備連合軍の作戦会議のとき、風音が聞こえ、木の枝が揺れる。孔明が振り向く。このシーンを見たときに、あぁ、まさに今から2000年近く前にこんな情景があったのだろうなぁ~などと思うと、タイムマシンに乗って歴史の転換点をこの目で目撃したような気分になる。昔はこんなことはなかった。映画は映画。小説は小説。マンガはマンガ。しかし、最近は「心が入りすぎる」のか、映画の中にも、小説の中にも、マンガの中にも、傍観者として物語の空気を感じてしまう。これが歳をとるということか・・・。
また、日本がやっとこさ、弥生時代から古代国家建設に動き始めていたまさにそのとき、一方では「孫子の兵法」がすでにあらわされ、虚虚実実の駆け引きの中、組織的な大戦争がおきていたのだと思うと、これまた感慨深い。そりゃぁ、中国・朝鮮から当時の日本にやってくれば「すごい文明人」だったはずだ。かたや戦闘のための武器の開発も刀・槍・弓矢を含め日本の戦国時代並みのものがあろうときに、日本では青銅器の剣。そりゃ切れ味も違うだろう。
なんとも人類の英知は奥深く、人の営みは短いようでとてつもなく長い。どんなに自分ひとりで頑張ったところで、人類の英知の、誤差範囲くらいしか分からないまま生涯を終えるんだなぁ。
なーーーんてことを考えながら、昨晩は満足して家に帰った。レッドクリフは1よりも2のほうが断然面白かった。