工場見学

昨日は、中部財界の、ある工場見学をさせてもらった。小学校の社会見学以来の工場見学だ。この工場計画の意図は、林業に「トヨタ式改善」や「工業車両」を生かすことで、林業のビジネスモデルが確立できないだろうかということを議論するための工場見学だ。

工場見学はおよそ1時間。しかし実りある1時間だった。麻生太郎の「とてつもない日本」(新潮新書)で「カイゼン」が外国の生産現場で共通語として使われているという話を聞いてから、私も改めて「日本の改善(←外国に輸出される知としてのもの)」を意識するようになったが、この工場はその本丸だ。

しかし、改善にくわえ「教育」も「技術教育」とはどうあるべきかだとか、まさに歯車として人間の労働を考えるだととか、しばらくはこの昨日見ててきたことを一月以上は反芻できそうな実りある時間となった。

工場見学のあとのディスカッションも「古今まれにみる面白いものだった」。私を含め林業を取り巻く産業に従事している会社や学者などが、「林業もビジネス云々」というのを言うたび、聞くたび、自分らにビジネスについて能書きをタレル資格はあるのか?と自問自答しながら恥ずかしい気持ちになっていた。しかし、昨日の会社の部長が「ビジネス」といっているのを聞くたびに「おっさん、何をいう」と当初いつもどおり感じていたが、ディスカッションの中でこの部長の発想に触れることで、「納得」できた。なるほど、なるほど。

やれることをやる、のではなく、やるべきことをできるように考える。大賛成。

・・・しかし、工場見学をして思った。
大学受験、変な縁で意図せず農学部の林学科というところに行き着いた私だが、おそらく、三河に育った私が、強烈な個性をもたないまま生きていたら、きっとこういう生産現場にかかわる仕事についていたのではないだろうかと思う。なぜなら、生まれた環境に加え、「改善」という考え方が自分生き方の中で違和感がなく、工場見学をしていて、なんだか昔からよく知っている自分の居場所のような感じがしたからだ。

さて、昨日のような「改善」や「教育」が林業の中に根付くのか。根付けば大革命だろうけれど、根付くのは宇宙に行くのより難しいだろう。しかし、同じできないにしても、できないからやらないよりも、私は、がんばったけどできない、ほうがストレスがなくていい、と感じるタイプの人間だ。

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