また、やってもうた

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インドネシアに今回なぜいくことになっているのか?
1990年代の半ばに、インドネシアで長いこと山火事が鎮火せず、煙などがおき飛行機が飛ばなくなったときがあった。あのときの火事が、ボルネオ島の山火事。今回行くのはそこの現場。理由は、昔は熱帯のジャングルだったその地だが、1990年前半からインドネシアで始まった「メガライス」プロジェクトによって100キロ×100キロのしたの地図の位置にあった森林が伐採され、インドネシアの食糧供給を担う田んぼへの開拓が進められた。
その開拓によって、100キロ四方で森林がなくなったのは、環境問題での先進国視点からは大きな問題だが、それに輪をかけて問題なことがある。たんなる森林の消失ではすまなかった。

そこの森林が湿地の上に成立した森林であったということ(もちろん、田んぼにしようとするくらいだから)に由来する大きな問題があった。というのは、湿地では木を腐らせる菌が水の中で息をすえないために、木が腐らないまま、長い年月をかけてどんどん樹木が積もり炭化していたところに、樹木を切り開き、灌漑施設をつくって水はけをよくしたら、湿地の水が排出され土地が乾くようになった。つぎに、乾いたために木材を腐らせる菌が繁殖するようになり、目に見えて炭化した樹木が分解、つまりなくなっていっている一年で数十センチ地盤が沈下しているらしい。言い方を帰れば、二酸化炭素をどんどん大気に排出している。1990年代の火事の時には、樹木の火事+泥炭の火事の合計で、そのとしの世界の二酸化炭素の数十パーセントを一気に大気に放出した計算になるらしい。

いまでは、火事がなくても水はけがよくなったその地では、どんどん大地が沈んでいき(泥炭が消失)、二酸化炭素を大いに大気に撒き散らしている。
そこで、第1にその地で行われている植物による二酸化炭素の固定量と、植物と泥炭の消失量による二酸化炭素の排出量を知るために、飛行機から計測したデータをもとに解析を行う。第二に、そこから二酸化炭素を出さないようにするにはそうしたらいいのか、という政策の提言をするというプロジェクトが始まった。私は前者のプロジェクトの一員として現地に行ってくることになった。

さて、なにが「やってもーたか」である。私は100キロ×100キロを自分ひとりでも移動できるように、今回、国際免許を念のためとることにした。さきほど、国際免許をもらってきた。2650円也。いろんな用事を後回しにして、優先して免許センターにいってきたのだが、すべての書類を出し終えて、お金を払って証紙を購入した後、「インドネシア」ではその国際免許が通用しないことを発見したのだった。

したの地図は、インドネシアでの調査のベースとなるパランカラヤ大学のあるパランカラヤの町。

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