感嘆・・・

先週末から股関節が痛い・・・。イテテテ・・・。
理由はもちろん空手だ。股関節が痛い理由が、可動領域が狭かった足の関節可動領域が広くなる過程での出来事なら、これほど嬉しいものはない。しかし、単に歳をとったため体を痛めつけ朽ちていく序曲としたならこれほど悲しいことはない。希望的観測で前者としておこう。

しかし、武術を考える度に感嘆せざるをえない。

地球の歴史45億年。人類の出現700万年前。中国5000年の歴史。そして中国拳法、その後の空手の出現。拳法ができる前までは、多分、子供の喧嘩のような戦いや争いだったのだろう。ともかく大きくて力が強いものが勝者。しかし、拳法の登場によって、そうはいかなくなった、・・・のだろう。

おそらく、相手の予測しなかった動きで、予測しなかった攻撃方法で攻める。あるいは、相手のあらゆる攻撃に対してムダな動きをせずに防御する。これによって戦いを有利に進めていくのが武術の中心思想なのではないだろうか。

中国武術ができ2000年と言われる。沖縄に空手が萌芽してのが400年前。人の人生を仮に50とすれば、たかだか8代~10代くらいの出来事。この間に、攻める・防ぐ方法をあみだし、それらを学習していく順番を体系立て、体系にそって体が動くように練習方法を見出す。武術は人類の英知の結晶だ。すごい・・・!そしてそれを一心不乱に疑いの予知なく修練する人々。

いままで我流の回し蹴り、後ろ回し蹴りをしてきた。とくに後ろ回し蹴りは、難しい技ではあるが、我流でなんとかマスターしてきた。

この後ろ回し蹴りは、多分、大きくわけて三種類。踵で蹴る後ろ回し蹴り。足裏で蹴る後ろ回し蹴り。足の甲または足刀で蹴る後ろ回し蹴り。踵の後ろ回し蹴りは難しくはないが、足裏・足甲は難しい。しかし私は足甲のほうはマスターしている。
踵の回し蹴り

足刀の回し蹴り

一方、足裏での後ろ回し蹴りは20年トライしたがダメだった。

ところが、習い始めた空手の練習を通して、光明を見出すようになった。これまで我流では思いつかなかった練習法をすることで、なんだか自分の弱点(動かなかった可動部分)が明かになって、それを集中的に鍛錬すれば、できなかったこともできるようになるような気がしてきたからだ。そして、空手を終えて、股関節が痛む度に、空手の奥深さに驚嘆している。

空手以外の林業や情報処理もきっと、効果的な技の体系と学習の順番と訓練方法があるはずだ。空手での気づきをなんとか他の学習でも応用できるように努めたい。

もちろん、股関節の痛みが可動領域が開拓されている過程での痛みだとすればの話だが・・・。単に歳をとったため・・・というなら、今の考えははなはだ夢想ということを承知しているつもりではある。

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