この一週間のビックニュースの1つが天皇のペリリュー島訪問。
第二次大戦の戦没者の慰霊。
風邪をひいていた(治ったのかな)中、一泊二日の訪問。
いくらチャーター機とはいえ、ことなる気候で大変だったと思う。
前侍従長の話として、なぜペリリュー島なのか?について彼の推測が報道されていた。
月日が経って人々の記憶からうすれつつあるペリリュー島を、こうして天皇が訪問することで人の記憶と関心を呼びおこす。そんな解釈があった。
それを聞いて、それもそうだと思った。恥ずかしながらペリリュー島の激戦は今回知った。私と同じように、今回の天皇訪問で多くの人が頭の中にペリリュー島をインプットしたに違いない。
その話を聞いてから、私は周辺報道の不思議を感じている。
天皇の訪問の意図は、ペリリュー島にスポットを浴びるという小さな話ではなく、ペリリュー島に光を当てながら、第二次世界大戦で亡くなった戦死者のうえに今日の平和があることを、多くの人に再認識させたかったのではないだろうか。天皇は政治的発言はしてはならぬことになっている。しかし、安倍政権になってからの天皇の発言は、誰の目から見ても”戦える国”に走ろうとする日本に憂いを感じてることを思わせる内容が多い。
つまり、今回の訪問は、安倍政権の”戦える国”に走ろうとすることへのブレーキを、現在の天皇のできる範囲でしたかったのではないだろうか。
しかし、その意図はマスコミによってかわされた。
、マスコミは”戦える国”に走ろうとする安倍政権に絡めた報道はしていない(すくなくとも私の目には入ってこない)。ペリリュー島の激戦の生き残り、大和の生還者、特攻隊の生き残り・・・、今回の訪問を単なる、美談として報道する。
はやり政権からの圧力がかかっているのだろうか・・・。特に現在、統一地方選挙のまっただ中。”戦える国”に突っ走る現政権には、天皇の戦没者慰霊⇒戦争の悲惨さ⇒憲法順守の流れはおそろしく逆風になる。
お気の毒、天皇。・・・という気がしてならない。