高校の先生の指摘

確か、1999年くらいだと思うが、当時32才ぐらいのときに教育実習で、卒業した高校に行った。人より2年遅れて大学を卒業し、民間企業で5年勤めた後退職した。退職後、その後の人生を考え選択肢の1つとして高校教員も視野に入れていたからだ。

卒業して15年程たっていた高校では、知った顔の先生も数人いた。そこでの再会を機会に年賀状をやりとし始めた先生もいる。その先生からの今年の年賀状に「おまえも、ことしで50才・・・」という問いかけがあった。
間違いない!今年誕生日が来たら、俺は50歳だ!
びっくりした。まだ、何をも成し遂げていないのに、既に50。あと10年で還暦!残された人生は少ない…。

成し遂げる、成し遂げないは重要なことではないが、自分の年に少なからず驚いた。

保育園の入園で初めて行った保育園の帰りに、一緒にいった同級生へかけた言葉も覚えている。
小学生のときの言動の数々も鮮明に思い返せる(もっとも強烈な印象だったか、あるいは何度も思い返している場面だけなのだが)。
中学校のときの感覚も数年前と同様に鮮やかに蘇る。
高校、大学、社会人…つい昨日のことのようだ。

しかし、たとえば私が沖縄に徒歩旅行した1988年3月は、沖縄返還から1972年の沖縄返還から数えて16年。当時、ヤンバルの民宿でお世話になった老婆が、沖縄が日本に変換されてから若者は贅沢になったと嘆いていた。当時沖縄には、砂埃にまみれた車ばかりが走っていて、愛知にもどってきたときに走る車の輝きに驚いたものだった(車を一生懸命洗う文化を私は不思議におもった)。

小学校5年生だったか・・・。名古屋の吹上ホールで中国展というのがあった。そのとき、親に鉛筆や折りたたみハサミをかってもらった思い出がある。今思えば、あれは中国との国交正常化をして数年後の記念のイベント。時代は確実に動いていた・・・。

昨日のブログにアップした秋田県男鹿半島の老夫婦のことも然り。

でも、・・・いまそれらのイベントを逆算すると人生の前半部分での出来事。
自分の人生の折り返し地点(今年でいえば25年前)を明確にして、位置づければ随分前のことと思っていいはずだ。けれど、自分の意識のなかでは、鮮やかな記録・・・。

そう思う原因はなんだろうといつも考える。
いまのところ思い至ったのは、老いの実感を正面から受け入れる脳の準備ができていないことではないかと思っている。

もしも、年とともに見える景色の色が変わるのならば、日増しに老いを実感するだろう。
けれど、見える景色の色は変わらない。いくらボケても、脳はいつも等身大の自分が100%と認識するであろうことから、他人には老いを察知されても、自分では察知できない。
現時点で、老いを感じるのは、時に体の可動領域が狭くなっている、あるいは昔はできてたことができなくなったと実感する瞬間だ(高校時代懸垂が18回はできたように記録するが、大学時代にはそれには及ばなかった。それは老いによるものではなく、練習していなかったと片付けていた。けれど、いまでは練習さえ出来ないこともあり、その瞬間だけ老いを感じる)。けれどすぐ忘れ、昔と同じ気になってしまう。

あと、10年たてば還暦。あと20年たてば70。30年たてば80。
10年前はアカデミー勤務して5年のあの時だ。
20年前は教育実習のころ。
30年前は北海道・沖縄・本州横断の徒歩旅行のころ。

うむむむむ・・・。

人類誕生以来、誰もがそんな人生の時間を振り返ってきたのだと思うと、感慨深い。

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