妄想竹

今日、職場から外に出て、あちこち行く過程の中で、時間をつくってかねてよりの懸案であった古い銀行口座の整理にいった。大学時代、会社員時代、無職時代…。いろいろ通帳があった。
名古屋の伏見にいったついでに銀行行脚。

三井住友銀行で思ったこと。
どうだろう、明治からの建物か・・・、えらく天井が高く、なんというか・・・石造りの洋館。まるで鹿鳴館のような・・・。

名前を呼ばれるまでの間、ぐるぐると壁から天井から見渡した。
すると、ホールから見える二回の扉が空いた。
銀行の職員と思われる男性と、その人に会いに来たと思われる2人の男性がいた。腰を曲げて頭を下げていた。100年以上前の壁や扉の中に、現代のビジネスマンの姿・・・。

想像したのは、100年前の銀行職員と今日の2人の会社の職員も、こうしていたのだろうなぁ・・・と。
人は死ぬが会社は常に新陳代謝で生き残る(もちろん、実際は生き残らない会社のがおおいのだろうが)。
人は老いて定年しても、すぐに新たな人材が送り込まれ、会社は継続される。

人が生活するために会社があるのか、会社が存在するために人が存在するのか?
人間は変な仕組みをつくってしまったものだ。

今日の三井住友銀行で、いつものことながらまた思った。

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