難しいことはわからないが、日本の独立の維持のため、日本が戦える国になることについて、異論はない。私は日本人であること、日本に生まれ育ったこと、感謝と満足している。
その感謝と満足の存続が危ぶまれるなら、人生をかけて行動することに違和感はない。
でもなぜ、そんな考えになったのだろう。
思い当たるのは、子供の頃の体験。
「早めしはやグソ芸能のうち」と言われて育った記憶がある。
「ドラマ コンバット」「映画 遠すぎた橋」など戦争を美化(アングロサクソンがしそうな話だといまでは思う)する映像を多感な小学六年生のときに身近に感じていた。そんな延長で、一時は自衛隊に入ろうとも考えたことがあるくらいだ。大和、武蔵、長門のプラモデルをつくり、F15戦闘機も作った。ただ、右だとかいう発想はまったくなく、正義のヒーローの延長(仮面ライダーに憧れるように)だったと思う。
加えて、思い当たるのは小学六年生のころ伯父からいただいた「のらくろ漫画全集」だ。本を読むことが苦手だった私だが、小学六年生のころ、寝る前に何度ものらくろ漫画全集を読みながらとこについた。なるほど、なるほど。二等兵⇒軍曹⇒大意・・・などの階級制度はのらくろで学習した。のらくろは晩年、満州にわたり鉱山にかかわった。鉱石に関心をもった(ほんの数ヶ月)ものもそれがキッカケに違いない。
私が戦争絶対反対と思わないのは、それが原因か・・・。
街角インタビューでは安倍政権を悲観する年配から若者。
私の感覚と何が違うのか・・・。
そんなことで、私の原点を探るべく、ネットオークションで「のらくろ全集」を買い直した。伯父にいただいた本は、家を建て替えるときに家と一緒に廃棄された(私が実家にいない時期)。
本日、入手。小学六年には気づかなかった様々なことを改めて気がついた。
昭和16年10月が最後の掲載だということに改めて意識がいった。
なかなか感慨深い。
どうやら、自衛隊になってもと考えたこととのらくろとは関係無さそうだ。
(加えて、漫画の内容自体には子殿の頃考えた面白みは感じない)
ちなみに、いま安倍政権のもとで戦争に行くか?といわれれば、ノーだ。
「オレオレ詐欺」「幼児・乳児への家庭内暴力」・・・。
私の好きな日本だけど、自分のことしか考えていない輩がのうのうと好き勝手生活している。そんなことが蔓延している日本のために自分の人生を犠牲にするなどとはこれっぽっちも思わない。
日本人が皆、自分の利益をだけを考えず、全体のことを考え慎ましく生きる世の中になったときには、俺の人生つかってくれ!という感じか・・・。いまはそれには程遠い。