1人、ペットボトル不買運動始めました

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今回の沖縄で得たもの・・・。

海を眺めるだけで気分が良くなるのだが、海岸に目をやると、ゴミの漂着に目を覆いたくなった。ペットボトル系の容器、発泡スチロール、網のウキが主なゴミだ。
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どこも、
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かしこもだ。

ペットボトルのパッケージは中国語・韓国語。しかし、中国・韓国がいけないわけではない。日本だって太平洋を通じてアメリカにペットボトルを流しているに違いない。

悲しい現実。30年前に知床半島の先端の沿岸を、泳いだり歩いたりして前進した。そのとき、知床の海岸には、流木・ガラス製の網のウキ、木製の樽が漂着していた。おそらく数十年で雲散してしまう破壊・分解型のゴミだ。

この沖縄、ペットボトルの漂着はここ10,20年の間のことだろう。10年、20年でこの有様だ。50年、100年したら海岸はどうなってしまうのだろう。

誰か拾うのか?拾わないか?
拾うのならそのコストは誰が負担?
コストの負担も悲しいことだが、もっと悲しいことは、次世代を担う現在の子供たちが、ゴミが落ちていることに違和感を持たない人類になってしまうことだ。

100年後の人類は、ゴミ屋敷に住む住人のように、地球のあちこちに落ちているゴミを気にせず人は暮らしてくのだろうか?

原子力はコストの低い電力というふれこみだ。しかし、放射性廃棄物の処理まで考えていくと、決してコストが安い電力ではない。・・・らしい。

ゴミも同じ土俵の問題だと思う。ペットボトルはコストの安い容器だ。しかし、その回収に係るコストを考えれば、決してコストが安い容器ではあるまい。もちろん、回収せずにどこかに捨てて野ざらしにすれば、回収コストは不要で、安い容器に違いはない。

しかし、私はゴミに溢れた海や街や山を次世代に残したくはない。だから、回収のコストをペットボトルの容器に加えるべきだ!!!と声を大にして叫びたい。しかし、賛同する人はおるまい。
ならば、どうするか!

決めた!決めたぞ!! いままでペットボトルの飲料を気軽に買っていたが、「脱ペットボトル宣言」「1人ペットボトル不買運動」をしよう。ペットボトル業界の繁栄に加担するのはやめよう。
水筒をもとう。不要不急な水分補給は我慢しよう。子供の頃のよう、公園の蛇口の水で十分じゃないか。

コンビニの弁当もやめよう。プラスティック容器が、徒歩通勤で道端に捨てられているのを、俺は随分見てきたじゃないか。プラスティック容器業界繁栄に加担するのはやめよう。

自然分解包装・容器ならば、高くてもそれを選ぼう。
(昔のように、紙袋や新聞、竹皮、木材シートなどなら・・・)

あるいは、量り売り、あるいは自分で袋・容器を持ち歩く・・・。

そういう生き方をしよう。

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西表島にはゴミ焼却場がない。旅行者はゴミを持ち帰るように促してあった。そして生ごみは地域にコンポストがあり、地元で分解させている。
日本は、大きな西表島であって欲しいし、世界は大きな大きな西表島であってほしい。

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自分一人が行動しても現状は変わらないが、嫌だと思う世の中の成立に、遠回りでも加担している自分で人生を終えたくない。生きているかぎり脱ペットボトル。そんなことをこの沖縄で得た。

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