エコライフの探求」カテゴリーアーカイブ

畑の移動

P2010_1223_161713

岐阜市の安食というところで畑を借りて2年目。家から10キロ離れていて、なかなかこまめに手入れできない。

そんな悩みを持っていた中、職場の近くで畑を貸してくれる人にであう。しかも、その畑、借りているガレージから200mくらいの距離。

アフリカからかえってくると同時に九州から玉ねぎの苗をもらい、そこに植える。

岐阜市の農園で栽培していたイチゴをおりを見て、この畑に移植。
驚いたことに、イチゴの移植を始めたのが1月暗い前だが、この一月でイチゴの根がだいぶ伸びた。岐阜市の畑からイチゴを移植し始めた頃は手スコップで苗を畑からくりぬくときに根を切ることも少なかった。しかし、あれから一年。今日は畑からくりぬこうとしたら、多くのイチゴが、可愛い顔して白く細長い大根のような力強い根を張っていた。
この一月の変化に驚いた。

合計、20を移植。
またベランダ用のプランターに16移植。
全部で36を救出したことになる。

薪割り

日曜日はダッチオーブンでピザ焼き修行の日である。
となれば、薪がいる。そこでここ5年くらい動かしてなかったマイチェンソーを手入れして、職場に転がる丸太を切り、職場に備えてある斧で薪割りをすることにした。

直径が15cm以上の丸太を割るのは、思い返せば人生初かもしれない。実家にあった手持ちの斧で、その丸太を割ろうと思ったら、年季の入っていた斧の柄が折れた。そこで、職場に備えてある斧を使ってみたら、パックリと気持ちよくまきが割れる。

最近エコについて考えることが多い。まきを割りながらもエコを考える。

薪で風呂をくべている学生がいたので、一回の量を聞いてみた。写真の30cmくらいの丸太が二本くらいだとのこと。

高度成長期になる前は、おそらく毎日風呂に入るほど豊かではなかっただろう。一日おき、二日おき・・・。夏は水でもしのげても冬はそうは行かないから、燃料代節約のためにそうなることだろう。

ということは、風呂に入る回数が増えるということは、少なくとも昔の二倍・三倍の湯を沸かしていることになる。必然、二倍三倍のエネルギーを必要とする。

しかもシャワーが登場した。シャワーの登場によって、あっという間に湯が作られる給湯システムが各家庭に備わった。それによってかつての2倍から4倍くらいのエネルギーが使われるのだろう。

さらには、昔は大家族、みんな一斉に短い間に風呂に入る。風呂の温度管理も大変だし、使う薪の量も少なくてすむ。ところが今は核家族、しかも父ちゃんは残業、子供は塾や部活。生活のリズムは個人プレー。となると、風呂のタイミングはバラバラで、そのためにエネルギーをつかって湯を沸かす。

昔なら、二日、三日で30cmくらいの丸太が二個しか使わなかったものが、一日で30cmの丸太2個から4個くらい使う。つまり昔は二日で二個なら、一日換算では1個。ということは、現在は、昔の丸太エネルギーを2倍から4倍つかって僕たちは生活している。しかも、大家族から核家族になることで、日本全国の風呂の数は増えたために、日本全体では2から4倍の丸太ではすまない量のエネルギーを使っている。

しかも、そのエネルギーは化石燃料。

究極のエコは、風呂の数を減らし、家族がそろって短時間で風呂に入り。シャワーは使わない。

日本がそんな生活を送ってから、途上国に対して「地球温暖化」について説教すべきではないか。

そんなことを薪割りをしながら思った。091102_1036

IT時代の余生の過ごし方

畑全景 今日、雨の切れ目を縫って農園の収穫&草取りに行ってきた。

4月以来、市の農園を借りている見ず知らずのじい様たちに、挨拶すると話し掛けてくれる。そのコミュニケーションによって、農作業の悩みを解決できたおかげで、瀕死のゴーヤ(職場のゴーヤとは違う)や丈の小さなピーマンやナスも収穫できるようになった。Tossanにもらったサツマイモの活着して順調・順調。
昨年は、無農薬などといってオシャレに農業をしようと思ったが、無農薬だとか有機栽培などは、神さんのやることで、私のような初心者には「化学肥料のドーピングにつぐドーピング」でも、まずはまともに収穫に行き着くことが先だと気づいた。

さて、今日話し掛けてくれた人との立ち話は面白かった。
3週間前にその人が植え付けた秋に収穫できるキュウリの種をもらったが、一週間で芽がでたのだが、二週間前に見に行くと跡形もなく消えていた。あまりにショックだった、あの事件。せっかくもらったのに、上手に育てられずにすいません。お詫びしたが、初老のおじさんは、肥料のやりすぎで根が腐ったんだろう。などと世間話・・・。につぐ、世間話・・・。

そんなとき、彼が腰のウエストバックからデジタルカメラを取り出し、畑にいたコオロギを写真に撮った。まさかとおもったが、おじさんに「ブログ」ですか?と尋ねたら、シャイな笑顔で「そうなんやてぇ~」と岐阜弁で応えてくれた。なんでもこういうことらしい。

退職後、ボケ防止にと思い近所のパソコン教室に一時間1050円でパソコンを習いにいき(仕事でつかったことはなく、退職後に初めてパソコンをつかう)、メールのやり方を教えてもらった。さらに、「ブログってなんやろう」と思い教室で教えてもらいブログ開設にこぎつけた。

結局、ボケ防止のために毎日ブログをつけようとしていると、どうしてもネタ探しをいつもするので、毎日の発見が多くて楽しいということ。毎朝は確実に記事を投稿するとのこと。これはいい事だ!と思った。確かに、毎日つけようと思うと、ネタを探す脳細胞が活性化するような気がする!しかも、そのおじさんのブログには固定客がつくようになり、北は北海道、南は九州の方々からコメントをもらうそうだ。しかも、「今日はキュウリが取れすぎた。食べきれん」と記事をアップしたところ、「それなら、あーやって料理しろとかレシピを書いてコメントしてくれる」などと、うれしく笑っていた。

なるほど、ブログのコミュニケーションとはこういった老人の余生の過ごし方に入り込んできているのだなぁと実感した。

なお、このおじさんと盛り上がって世間話をしていたら、話の最後に彼の今日の収穫のキュウリとナスをもらった。
収穫夏野菜

ささやかな喜び

ゴーヤ 先日職場にまいたゴーヤの種。でてきた、でてきた。一時はどうなるかと思ったが、土曜日に職場で「ん?なんだこれは」という芽がでていたが、そいつが、今日の朝立派なゴーヤの芽になっていた。発芽まで一週間以上かかった。一時は、見慣れない芽をゴーヤと思い込んでいたが、そいつは雑草。いまやっと胸をはって「ゴーヤ!」と叫べる芽が出てきた。しかも、そのゴーヤ、友達を連れて地上に出てきてくれた。1、2、3、4。おーーー、全部で5本の芽がでているではないか!ここからしっかり葉を出し、ツルを巻き、恥ずかしくない丈夫なゴーヤにするためには、痩せだ大地だ、しっかり肥料をやらねば。まずは、化学肥料でドーピングだ。

さて、そんなことをしている間に、岐阜市で借りた農園では土曜日に、トマト・ナス・ピーマンの初収穫。借りた農園の土壌が悪かったために、ほかの農園と比べて背丈が低いが、なんとか収穫できるようにはなっている。

ところで、TOSSAN!サツマイモの茎を何本かくださいませんか?時期が送れて、もうサツマイモの苗が、どこを探しても岐阜市では売っていないなくて・・・。

収穫3

本家の農園

b47b17a7.jpg職場の秘密農園のほかに、私は岐阜市の農園で野菜を育てている。
昨日、ラフティングがおわったあと、農園に駆けつけ草むしりをしこたまやっていた。その草むしりの最中、他の人の区画とくらべると著しくマイ・農園の野菜がすごぶる元気がないのに気がついた。その元気のなさを、①水はけの悪さ ②土壌の悪さ と思い込むこことにした。

そこで、今日は午前中職場にいったが、早々と引き上げ、土壌改良を行うことに。腐葉土・堆肥・パーライト(←水はけをよくするらしい)をホームセンターで購入し、「あしたのジョー」よろしく、クワに渾身の力をこめ土を耕す。

ゴーヤの生育がまったく悪い。

農場の管理人のおじさんに相談したら、土が悪いから、化学肥料があればそれをまけば、一週間後には元気が回復するだろうとのこと。それを信じて化学肥料をまく。無農薬だ、エコだ、有機栽培だ・・・。もうそんなことよりも、80くらいある区画の中の”ジャガイモを失敗した”恥をそそがねば・・・。こうなりゃ、化学肥料でもなんでも来い!

しかし、土壌改良剤に本日2980円の出費。こりゃー、野菜を買ったほうが安いわい!ゴーヤが何本買えるだろう。

秘密農園

rose_marry今日、昼休みに不覚にも腹が減り、スーパーに買い物にいってしまった。そしてついでに、「ローズマリー」の苗を発見。しかも、職場の遮光にゴーヤを植えようとおもっていたところ、ゴーヤの種も発見。ゴーヤは白いやつだ。

早速、先日つくったハーブ園にローズマリーを二本植え、ゴーヤを建物の雨粒が落ちる建物がわ手前に植えた。

ゴーヤの芽がでてくれるとうれしいが、何せ小石だらけの痩せた土。どうなることやら。

gohya

梶島ふたたび

収穫2 木曜日にひとまず仕事の目処が立ち、息抜きをするために梅原猛の『隠された十字架』を読み始めた。しかしこれだけでは、つもりにつもったテンションは開放できない。つまり、つぎの仕事にむけリフレッシュできない。そこで、今日は正月にチャレンジした梶島(無人島)にわたることにした。マイゴムボート+船外機を持って。近々、梶島の向こうの佐久島に渡ろうとおもっているので、今回は梶島→ウサギ島→サルガ島などの島渡りをしつつ、佐久島わたりと同じくらいの距離を沿岸沿いに走り、問題の発見と解決につとめるためである。
しかしむやみに、走っているだけではつまらないので、潮をみて、潮干狩りをするこことにした。9年ぶりだ。毎年、行きたいと思っていたが、忙しくていけなかった。シーズンは遅いが、少しでもとれればそれでいい。朝五時におきてホームゲレンデとなっている恵比寿海岸に向かう。

収穫1 漁業協同組合にお金をはらってアサリをとりたかったが、梶島の潮干狩りは6月の頭の土日を最後に終了していた。そのため、今回の上陸でおこなう潮干狩りは無料となる。漁業協同組合が放棄したこの季節のアサリはもうほとんどいないだろうと思っていたが、小ぶりではあるが、一時間もアサリを探していたらバケツの半分が取れた。バケツ一杯を目指そうとおもっていたが、風の音が変わってきた。風がつよくなってきた。うちよせる潮騒のおとも大きくなった。
これはやばい、早く戻らないと風がやむ夕方まで足止めを食らうか、それとも帰路に転覆か・・・。そこで、バケツ半分しかとっていないが、島渡りもせず、恵比寿海岸にもどることに。波が高かった・・・。なんとか無事に戻れたが、風はさらに強くなり、白波も目立つようになってきた。よかった。

梶島さて、恵比寿海岸でもアサリを探してみた。こちらは50個程度した取れなかった。シーズンがおわった漁業協同組合が放棄したとはいえ、梶島にはたくさんのアサリがいたのだなぁ・・・。つくづく思った。

思えば本末転倒

 近所に比較的ガソリンが安いセルフのスタンドがある。しかもそのスタンドは土日だと平日よりも1円安い。この夏から、この高騰する(といっても最近は下がってきたが)ガソリンスタンド対策に、土日のいずれかで、毎週給油することにしている。まぁ、そのうち、ちりも積もれば山とならないかというゲーム感覚だ。スタンドまでの往復八キロ(通勤路なのでいつも通っている)。そして2ヶ月間、このゲームを楽しんでいた。しかし、このゲームも今日で終えることにする。

 今日、ガソリンを入れていて気づいた。私のバイクは満タンでも5リットル。今日は先週平日にも入れているので、3.2リットル。つまり節約しても、最大5円ということだ。さて燃費が一リットル最大で40キロとしよう。8キロ移動するということは、5分の1リットルのガソリンを使って、わざわざガソリンを入れに行っていた。現在、1リットル133円。その5分の1だから、26円。つまり私は、最大5円の得をするために、26円使っていたのだ。しまった、うっかりしていた。

 通勤の途中にいれれば、マイナスはないが、給油のために遠路はるばるというのは不経済だったのだ。パジェロを満タンにするばあい、80-90リットル入る。まぁ、それなら往復のガソリン代を含めても、そのうち山にもなろうが、たかだか5リットル入れるために、足を運んでいたとは・・・。また、ガソリンは下降傾向にあるので、今、パジェロも満タンにするのも不経済。

 週末のスタンドゲームも、今日でゲームオーバーだ。

こんなものなのか(さつま芋・・・)

 この連休は本を読むことにしている。特に「ルポルタージュ」というやつだ。先日、野村進著「調べる技術・書く技術」という本を読んだときに、彼が引用していた本の原本にあたりたくなったからだ。もちろん、先日の「我が空手哲学」については、風呂などで小分けに読み続けている。そんな中、昨晩から「スローカーブをもう一球」という本を読み始めた。そして昼には読み終えて、気分転換がしたくなった。もうこれは芋ほりしかあるまい。私は1.5キロくらい離れた農場にクワを担いで歩き出した。

 おそらく9苗植えたと思う。そのうちの5本くらいは掘ってきた。しかし、1蔓に大体2個しか実っていなかった。芋づる式というくらいだから、もっとワンサカ取れると思ったのに。残念。ワリとショックだったので、にんじんも全部取ってきた。またピーマンが3つなっていたので、そいつも取ってきた。また5cmくらいのナスが落ちていた。そいつは拾ってきた。

 さつま芋・にんじん・ピーマン・ナス。こんちくしょー。リュックの中に入れた作物が背中で揺れているなか、私は考えた。こいつらをどうしようか・・・。よーし、天婦羅にしてくってやる!!!にんじんと玉ねぎでかき揚げを。さつま芋・ピーマン・ナスは衣をつけて。以外にうまかった。あと4本くらいさつま芋があるが、もう少しまってみよう。人蔓に3つくらいなるかもしれない。

スーパーレジ袋

 最近、スーパーのレジ袋が近所でも有料になってきた。マスコミでもこのスーパーのレジ袋は「エコの大敵」といわんばかりの取り上げようだ。やれ、マイ箸だ、やれマイバックだ・・・。とかく世間は騒がしい。あほらしい。もちろん、私は自己意識として「マイバック」というか「買い物籠」を竹で編んで、それを使いたいと思っている。個人的には賛成だ。しかし、人に「マイバックを持たないのは悪の権化」のような取り上げ方をして、さも「大事なこと」とばかりに取り上げるマスコミや各種団体には気分が悪い。

 昔こんなことがあった。日本では「ナタデココ」のブームがあった。そのブームを作る世間の仕掛けによって、日本のナタデココ消費量は激増。そのため、フィリピンではナタデココを作るためのココナッツ畑が急激に増加。これまで自給食物をつくる畑が、一攫千金を夢見て借金をして作られた。しかし、ブームが去って残ったものは、負債。現地の社会は混乱した。そんなことがあった。そんな中、ナタデココは当初「ファッション」のように華々しく取り上げられ、ブームがさった今では「悲劇」として語られる。私はラジオでナタデココの仕掛け人の女性のコメントを聞いたことがある。泣きそうな状態で「・・・そんなことになるなんて・・・」。しかし、考えれば想像はつくこと。

 さて、レジ袋。世の中でどれだけのレジ袋が消費されているのか。たしかに、ごみになるだけなので、資源は無駄だ。しかし、気になるのはそれだけの量が消費されるということは、それを「飯のネタ」にしている会社があり、会社があるということは、そこには従業員がいて、その従業員の家族がいるということだ。突然、レジ袋を「やめよう」と運動をして、突如として受注量が減ったとき、その会社やその家族はどうなるのだろう。しかし、それを取材しているマスコミは見たことがない。

 自分が実現したい世の中を達成するために、個人的に「気づき」「努力する」。それはいい。けれど、自分のしたいことを実現するために「あおって」「強要」するのはいかがなものか。ある方面の人はそれを環境教育だといって言っているが、もしも、それが環境教育だというなら、ないほうがいい。それは宗教だ。一部の環境教育には宗教のような匂いを感じないでもないが・・・。

 地球上に自分ひとりが生きているなら、好きなように、思うようにすればいい。地球上がすべて仲良しクラブで結ばれているなら、仲良くやればいい。けれど、世間は多様である。自分が「悪い」と分かっていても「受け入れなければならない」こともたまにはある。また急激な変化ではなく、緩やかな変化にしなければならないときがある。一人が最大の便宜をえるのが社会のあり方だとは思わない。皆が不便を少しづつ受入ながら次の時代の最大公約数の便宜を得るために我慢することが必要なときもある。ところが、世間の方法は「あおって」「強要」のスローガン。

 レジ袋に関してなら、資源の無駄とはわかっているので、それに気づけば「マイバック」。でも、マイバックの労力を払えない人も多い。それならば、レジ袋に依存して生活している人の調査をし、問題なければ有料化。問題がありそうならば、レジ袋にかわる代替商品の開発をその会社にさせる(行政的な助成)とか、経営的にレジ袋がなくなってもいいように会社の業態が変わるよう導入をしてから有料化(強要)。そういう配慮が必要だと思う。
 自然に優しくなろうと言うやつは、そのまえに、自分と違う立場の他人に優しくなければいけない。他人に優しくないエコなんて、そんなものはないほうがいい。最近、レジ袋の有料化が始まったのをまのあたりにして、そう思う。