ヒマラヤ2007」カテゴリーアーカイブ

回想ヒマラヤ5 非日常その2

【夜】
夜いま日本に帰ってきて、部屋の電気を消さずに別の部屋でテレビ見たりしてしまうことがある。前はあまり何も思わなかったが、ネパールから帰ってきたいまは、電気の無駄づかいをするたびに、あのヒマラヤを思い出す。カトマンズ、つまりネパール王国の首都でさえ停電がある。夜中に突然、電気が消えることがあるのだ。また、町には街灯がなく、といってもどこかの国の援助で街灯ができていても、明かりはともっていない。したがって夜の街は行きかう車やバイクの明かり。もちろんネオンなんかはない。
 これが山奥にいくともっと状況は悪い。まず、トレッキングの起点ナムチェバザールという町。ロッジの食堂ではかろうじて読書ができる程度。これが各個室の電気となれば、肌電球が一つあるだけ。裸電球といっても読書はできないくらいの暗いものだ。また日本からもっていったパソコン・デジカメなんかを充電するためのコンセントはない。でも、ナムチェもあとから思えば極楽だった。
 キャンプサイトの5000mに行くまでにはナムチェをでてから3箇所で宿泊をした、テンボチェ(3800m)、ディンボチェ(4300)、チュクン(4700m)。テンボチェでは食堂はナムチェなみだったが、個室は裸電球、それも、日本で言えば豆球のような暗さ。廊下には明かりはない。したがって、高山病対策で水を大量に飲んでいるため頻繁にトイレにいくが、ヘッドランプ持参。
 これが、ディンボチェになるとちょっと泣けてくるほど暗くなる。このあたりになると座布団程度のソーラーパネル1枚で電気を作り、それをバッテリーに充電して宿の一日の電気をまかなう。みんなが集う食堂でさえ、夜になると料理の中身が良くわからないほどくらい。かりに半焼けの肉がでてきたとしても、肉の赤い部分は確認できない。しかも、トイレも電気はあるけど、電球がはまっていない。部屋の電気も豆電球なみ。こんなんじゃ何も見えやしない。
 チュクンなるともっと過酷。電気は食堂に豆電球が一個だけ。写真のように人の顔さえ良くわからないほどくらい。部屋や廊下には電球はない。別のロッジでデジカメの電池を充電したが、充電は一時間300ルピー。つまり600円。
 もちろん、カトマンズ、ナムチェ以外は、家電を見たことがない。冷蔵庫、炊飯器、洗濯機、掃除機・・・。なにもない。でも現地の人はだれも不便に感じてなさそうだし、みんな幸せそうだった。発電所もちかくにないし、電線だってない。

【トイレ】
トイレネパールに入るまでは、ネパールの便所は日本のボットン便所のようなところだろうと思っていた。・・・が、実際いってみると、それ以上でもありそれ以下でもあった。便所は大体3タイプあった。
 一つは、写真のように小屋があって、小屋の床にいたが引いてあり、そこに穴が開いているタイプ。どっちを向いて排便していいのもなのか悩むところだが、まぁいい。便所はもちろん個室で人がみているわけではない。反対側を向いて排便していても・・・。面白いのは、なかには枯葉がつんであり、用を足すたびに枯葉を便所の中に落としウンチを隠す(たぶん、ウンチの腐敗を促進とにおい消しの役割があるのだとおもう)。
 二つ目は、20年前タイにいったときのような和式(キンカクシはない)の陶器でできた便器があり、排便後は便所内にある大きなバケツの水を小さな桶で汲み、自分で流すタイプ(もちろん、下水施設はないので、その流されたウンチは近くのどこかに垂れ流しのハズ)。このての便所で、ちょっと躊躇することがある。それは紙の始末である。便器に紙は入れてはいけないことになっていて、用を足すときにしゃがんでいる右前方にポリタンクを二つにわったようなプラスチックの容器があるが、用をたして尻を拭いたあとの紙(つまりウンチのついた紙)はその容器にいれるのである。もちろんふたはない。しかも、ウンチをすればするほど、容器はてんこ盛り状態となり、うんちのついた紙がエベレストのようにつもっている・・・。これには参った。ただ、郷にいらずんば郷に従えということで、そのうち手動水洗用の水おけの水を手でぬらし、尻を洗うようになったが・・・。でもウンコ紙のヒマラヤ山脈には少々ドキドキした。
 3つ目のタイプは、ウンチも紙も同じところに排泄する日本の海の家のような(といても一つ目のような床板に穴があいているタイプ)ボットン便所。ただ、日本と違うのは、寒いのでウンチが凍っていていたり、水はけのよい地面に穴がほってあるだけで水分が日本のようにたまっていない。だからお釣はこない・・・。その分、地域の水が心配だ・・・。きっと糞尿が染みた地下水を料理に使っていたりするのだろう・・・。

 一つ目の便所は、まだ木が生えている地域の便所、二つ目の便所は木のない標高の高いところの便所。三つ目はなんでもありにならざるをえない、人間の生存が極限になる5000m近くの便所。そんな気がした。

 しかし、総じてこの季節の便所は寒いのでにおわない。日本の海の家や、しけたキャンプ場のようにキツイ匂いはしなかった。ウンコの行き先は不安だが、トイレはわりと想像以上にきれいだった。

しかし、電気がなくても、トイレが簡素でも幸せに暮らせる自信ができた!時間と土地があれば、ネパールのロッジのような小屋をつくってみたい!!

回想ヒマラヤ4 非日常その1

【気圧】
 スキー場にいくとポテトチップの袋がパンパンになっている経験はだれにでもある。1500mオーバーの乗鞍青年の家でもそうだった。ポテチにパン・・・。みんなパンパン。
 ほんじゃぁ、ヒマラヤはどうよ。

 ところで、平地の気圧はだいたい1000ヘクトパスカル。熱帯低気圧の台風は950ヘクトパスカルだと、お天気姉さんはこういう。「超大型の強い台風の・・・」。しかし、超大型台風がきたからといって、ポテチの袋が膨らむことはないから、スキー場の気圧はきっと950ヘクトパスカルよりも小さいのだろう。
 でも、どうだろう。もしも台風が来てポテチの袋が膨れたら・・・。コンビニの店員はきっと、台風が来るたびに袋が膨れて棚からおちるポテチを、台風で客足が遠のいたガラガラのコンビニで、棚に戻しては落ちるポテチと格闘する。
レーズン さて、話はそれた。ヒマラヤではどれくらい袋が膨れるのだろう。そんな疑問に答えるべく、写真をとってきた。写真は5600m地点のお菓子の包み。気圧はなんと、550ヘクトパスカル。登山では昼飯は朝弁当をつくるわけでもないし、昼間からコンロを出して湯を沸かし・・・なんてことはしないのが「山屋の行動」だ。昼飯はなし、というか、チョコレートだとかビスケットだとかカロリーが高いお菓子を食べてそれで終わり。だから今回のアイランドピークアタックも昼飯は菓子。日本にいるときダイエーの菓子コーナーでカロリーが高くて軽い菓子を探して、ヒマラヤに持っていたビスケット。爆発寸前。パンパンだ。

【水】
 人間、飯を食わなくても数週間は生きれるらしい。ただし、水を飲んでいればの話。水、もちろんそんなものは蛇口をひねればガブガブのめる。ん!山?山の水もうまい。今年の四国のラフティング途中で飲んだ沢の水。愛媛の山で飲んだ湧き水。水の味にドン感な僕でもウマイ!と思った。けれどそんなことを思えるのは、きっと日本だけでは・・・。いままでいったいろんな海外でも水道の水を気にせず飲めたのはニュージーランドくらい。あとは、ちょっと飲むのを控えた。
 さて、ネパール。水状況は最悪。水は飲めない。細菌は目では見えないけれど、ネパールの首都の5つ星ホテルでさえ、シャワーの水を良くそうにためたら、色がついている。錆び水のような色。
 だから、ミネラルウォーターを買って飲む。ネパールの首都カトマンズでは1リットル15-20ルピーくらい。日本円にして30円から40円。さてこの値段、5000m地点へのトレッキングでは標高があがればあがるほど値段は高くなっていく。まず、カトマンズからヘリで飛んで到着トレッキングの起点ナムチェバザール。飛行場からナムチェバザールには400mくらいの山道を降りる。移動は徒歩。車や自転車なんかが通れる道ではない。日本で言えば登山道(まわりに大きな木はない。富士山の登山道みたいな感じ)。もちろん、ミネラルウォーター、ナムチェバザールでつくっていないからどこから運んでくるのだが、飛行場からナムチェまでは人力かヤクという動物の力をかりなければならない。けれど水。重い・・・。だから一回に運べる量はすくない。その結果、ナムチェで水をかうと一リットル100ルピー(200円)。ここから5000mまでどこのロッジやレストランでも水はうっているけれど、「誰か」が足で運ぶことになる。酸素が薄く「われわれ一般ピープル」では空身で坂道登るのも息切れするのに・・・。その結果、たとえば4300mのディンボチェでは一リットル200ルピー(400円)、4700mのチュクンでは230ルピー(460円)となっていった・・・。
 一日4リットルくらいの水を飲むようにしていたた(高山病対策)。もちろん値段には返られないが、そもそも山の中ではクレジットカード使えない。手持ちの現金(ルピー)もあまりない。となると湯水のようにお金をつかいミネラルウォーターを買うことにも気が引ける。そのため、キッチンボーイが「煮沸」した「現地の水(どこの水かわからない)」を飲むことになる。その水、あるときは、アルミのヤカンの風味がした(たぶん、紅茶をいれるヤカンなのでその匂いだとおもうが)。ちょっと勘弁してほしい味。というわけで、次善策としてアルミ水をさけるため、その水でつくった紅茶を持ち歩くことにした。

 ところが、氷河に隣接した5000m地点でのキャンプ3日間。水を買うところはもちろんない。キッチンボーイの水が命綱だ。そのキッチンボーイ、ここでは水を氷河から汲んできた。そいつを沸かしてお湯や紅茶、料理のスープに使っていた。氷河の融水!なんて素敵な響きだろう。氷河をピッケルでかち割って、ウイスキーのオンザロックでもすれば、さぞうまかろう。・・・と思っていたが、現実は違った。氷河の融水は泥水だった。また別に紹介するつもりだが、ここの氷河は砂と雪の混ざった氷河で、それが融けた氷河湖は粘土のような細かい砂の混ざった写真のような泥水。

氷河水 この泥水、紅茶にしても紅茶がにごっている・・・。ときどきテレビでアフリカの人々が泥のような川水を生活についかい、病気になっている話しがでてくるが、まさにそれに近い状態・・・!?でも、人は水を飲まないと生きていけない。しかも高地では大量に・・・。煮沸した水を飲む勇気がないので、目をつむり、鼻をつまみ、色が少しでもついた紅茶でごまかす。
 さて、味は?これが意外にいままでの得たいのしれない水よりでつくった紅茶よりもうまかった。こいつは以外だった。もちろん、泥水なんて飲んだことはないので味の想像はできないのだが、こいつは無添加生の味。それで、ドキドキしながら煮沸した泥水に挑戦してみた。おっ、こいつはいける。いけるぞーーー!

回想ヒマラヤ3 神々の座

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これまで読んだ本の中でヒマラヤのことを「神々の座」といっている人がいた。
また僕の本棚には『憧憬のヒマラヤ』という本がある。

しかし、いまいちピントこなかった。ところが、今回行ってみたらヒマラヤの山々は『神々しい』という表現がぴったりだったということが判った。人を寄せ付けないあの山肌・・・。
そんな山々はきっと一目見れば「登るか登らないかは関係ないにしても」誰もが「憧れ」の気持ちをもつだろうと思う。
絵葉書のような景色、CGと見まがう。

yuki
上の写真のようなとんがった山もある。既にだれかが登ったのだろうが、おいおい、このトンガリ山、登ったところで何がある?こんな山をみると「ひとはなぜ山に登るのか」と改めて僕も思う。山は眺めるもの!?

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今回、僕らが登った山(僕は前述の通り途中でギブアップ)、アイランドピーク(6189m)。この山ならなんとか登れそうな気がするが、それでも僕は酸欠でのぼれなかった。人を寄せ付けない山・・・。あの狂ったような金華山トレーニングはなんだったのかとおもうくらい、あまりに僕は無力だった。

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回想ヒマラヤ2 ヒマラヤ行きの目的

ところで、遠路はるばるヒマラヤまで「あいつは何しにいった?」と思われているのでは?とひそかに感じている。今日はそのことをお話しするとしよう。

地球温暖化により陸域氷床が少なくなっている。陸域氷床の現象は長期的には海面上昇につながるが、それよりも緊急に問題なのは氷河の後退によって起きている氷河湖が決壊する危険性をもっていること。氷河湖が決壊するとヒマラヤから注ぐ川が一気に増水し、洪水や橋の流出など人々の生活に直接影響する。こういった問題は世界のあちこちにあるが、とくに氷河後退が顕著なのがヒマラヤということになっている。このヒマラヤで拡大している湖のうち「ツォローパ」という湖はそういった危険性ナンバー1の湖ではあるが、数年前に工事や付近住民への警報装置をつくったことで一段落した。その次に・・・というのがいまいちよく分っていない。ところが、イムジャ湖という湖はエベレストに近く、ネパールでも人気のトレッキングコース。この湖が万一決壊したら、前述、洪水・橋の流出などに加え、世界の最貧国とされるネパールの重要な観光資源を失うことになる。(橋がなくなっただとか、あの未知は危険だとか噂がたてば人が来なくなる)。これは長期的に世界の最貧国を見守る国際社会にとっても大問題。そこで、このイムジャ湖の状況を常にインターネットで世界中で監視し(温暖化問題の現状を世界にしらせ、環境問題に関心をもつ人々を増やしながら)、なにかが起こりそうなとき付近に警報をだすようなシステムをつくろう、というプロジェクトをKO大学が企画した。私はそのお供をしてきたというわけ。 

10月30日に日本をたち、タイ経由でネパールの首都カトマンズにつき、カトマンズで3日間で情報や装備を入手し、輸送計画とシェルパ等の手配をし、ネパール4日目からカトマンズから東に数百キロいったところにチャーターヘリで落ちたち、目的の湖に向けてあるきだした。下の写真はあるきだして一週間くらいして目的の湖に到着する数時間前の景色。その日は積雪があり寒かった・・・(なんども雪が舞ったがこの日は積もっていた)。

アプローチ

そんな湖も近くから見たら全体像が良くわからない。だから、高いところに登り湖全ぼうを捉えようと標高6189mのアイランドピークという山に登ることにしていた。したの写真はアイランドピークの山腹のアタックキャンプからみたイムジャ湖の全ぼう。巨大な風呂のようにカタチがシッカリした湖だった。湖面は凍っており、朝にはー20度の気温。昼でも氷点下・・・。
イメージしていたよりも小さい湖。しかも、湖の先端には川できていて、水を排水していたから、「これが洪水の恐れがある湖か?」と正直思った・・・。

さておき、アイランドピーク。この山に登る申請をしているのは3名(登山には許可がいる。許可には金が要る。だからみんな登るというわけにはいかない)。3名でシェルパ2名の援助をうけ深夜3時出発でアタックをかけたが(下山が遅くなると強風が吹いて危険ということで夜登山)、私は酸欠で「これは無理」と判断し、早々と撤退。(無理しないという信条でヒマラヤにいってるので)KOの現役山岳部員は6100mくらいまで行きながら凍傷の危険等を感じ撤退。上りきったのは51歳のKOの先生のみという結果に終わった。

全容

この氷河僕が驚いたのはその氷河湖の作られ方。氷河湖の形成だとか氷河の後退は、夏の乗鞍の雪渓がとけるように、ちょろちょろと雪が溶け出し、そのだいぶ下のところで湖ができているのかと思った。ところが、イムジャは違った。まるで南極の氷が海に崩落していくように、どうやら氷河のしたには既に水で満たされ、氷河の先端は水に浮いているため、どんどん氷河が崩落して湖を拡大しつつ、氷河が後退していた。なんでも90年代の後退速度は40m/年だったそうだけれど、現在は70m/年になっているという。

最前線

そんな現在もっとも熱い(話題性のある)氷河にいってきた。
調査隊はの構成は、KO大学5名、CB大学1名(長期出張を許してもらえなかったため途中帰国)と私のKO隊7名に加え、湖に設定するカメラを設置する日本隊3名とネパール隊7名の混成チーム。これにシェルパ3名(シェルパの親分をサーダーという)、ポーター数名(荷物を運んでくれる専門の現地人)、キッチンスタッフ5名でのヒマラヤ行だった。

回想ヒマラヤ1 ネパールの夜空

バンコクについてから消息不明になっていたように見えた私ですが、11月21日に日本に生還しました。ところが、帰国直前からヒドイ下痢で無事帰国!という具合にはいかず、ブログの更新をするエネルギーがありませんでした。最近体調がもどってきましたし、個別に連絡をくれた方々が「バンコクから消息不明だから・・・、ネパールで・・・ ・・・」などと心配をしてくれていたので、まずは帰国の報告をと、今日、一月ぶりにブログの更新をしてみました。

さて、ネパール。想像を絶する国でした。なにが想像を絶するのか?については追々ふれていくことにします。また、イベントが多すぎて頭の整理がついていないため、すぐにお話できるかどうかはわかりません。
ですから、まずは小出しに整理のついている事柄からブログります。

その第一歩。以前のブログで「ネパール」の夜空が楽しみだということをいいました。星好きの少年だった私は、5000mオーバーの山々、エベレストなど以上に期待していました。
ところが、ネパールの首都のカトマンズ。夜空は望むべくもない。もちろん、世界最貧国に必ず名指しされるような国ですから、いまの日本のようにイルミネーションはない、もちろんネオンもほとんどない、はたまた街灯さえ皆無に等しい。想像してみてください、日本の道路にネオンも街灯もなかったら・・・(もっとも戦後はそんな状態だったはずですが)。夜はまっくらのはず・・・、だけど、車の排気ガス(なんというか、交通量がやたらおおく(これについてはそのうち写真を掲載します)、道路は舗装されていないので、排気ガスと砂埃で体を悪くするような空気。いつも景色が霞んでいた。したがって、夜空は貧相な光害都市東京の新宿でみるような、宇宙の終わりのような寂しい夜空だった。
けれど、調査のためにナムチェバザールという町にとび、カトマンズから数百キロ、標高も3000mオーバーの場所に降り立った。
ずいぶん期待をしてナムチェの夜空を見上げたけれど、今年は異常気象らしく曇りの日が続いた。

さて、ネパールにはいって一週間後には、標高4300mのディンボチェという町についた。町といっても家は数えられるほど。もうこの標高だ、樹木もない。雪は目の前にの6000mから8000mの山々にはつもっているけれど、町々には雪はない。石と岩の世界。この町に入った2日目の夜、初めて夜空が晴れた!
高山病対策のため大量に水を飲んで寝ていると、夜中に尿意をもようし、寝袋からでてトイレ(といっていい代物か)にいく。しかし、トイレは外にあるため用をたしに外にでること一時間半おき・・・(だから熟睡できないのだが・・・)。
そんな深夜10時くらい(宿泊しているところには電気がないので、夕食を6時から7時の間にとるとやることがないので、8時には寝袋に入っていた)、トイレのために外にでると、星が・・・!寒さを忘れるほどきれいな夜空。おそらく氷点下5度くらいだったとおもうが(朝はかったときの気温がそれ)、寒空のなかカメラと三脚をとりだし、夜空の写真をとった。
amada

もちろん、それよりも高い標高(最高地点は5600mくらい)にいくまで、毎晩天気はよかったけれど、ディンボチェの町以降は夜が寒すぎて、写真に取ることはできなかった・・・。だって、マイナス20℃。寝袋からでて、防寒タイツと防寒肌着にダウンジャケットをきてても、さすがいに数十分そとにでてたら死にそうだったので・・・。写真はとれなかったけど、ディンボチェ並みにきれいだった。もしかしたら、いままで見た中で一番きれいな夜空だったかもしれない。

大学生のころ両目が2.0の視力があったときに見た北海道知床の夜空。いまは1.5と0.9くらいに視力がおちて見える星の数もへった(?)。けれどそれでも昔感動した夜空に劣らぬ星の数。もちろん、流れ星も普通に何個も流れていた。

今日の結論、ヒマラヤの星空は凄いきれいだった!

everest

本日、金華山都合によりオヤスミしました。

 昨日から忙しくなった。メーリングリストで飛び交うメールの数も多く、出発直前を実感する。いろいろやることがあるが、今日は授業がおわった昼から、名古屋に内緒で行ってきた。理由は、ヒマラヤ用ウェアとしてパタゴニアのウェアを使うことにしたが、そのパタゴニアのサイズを把握するためだ(現物を見ながら購入するショップで買うわけではないので)。またその足で、普通なら名駅の駅前アルプスで山道具をそろえるところだったが、パタゴニアショップの近くにあるIBS石井スポーツで、筋肉の負担を軽くして山登りを楽にするタイツのようなものもかった(1.5万円!びっくり)。また、初めて買ったが、タイツの下のパンツも買った。これまで、アウトドアラーとして様々なウェアやグッツを大学1年生から買っているが、パンツまでこだわったことは初めてだ。自分でいうのもなんだけれど、きっと私は今回に賭けている(なにを?と思わないでもないが・・・)。

 おそらく、エベレストの氷河までたどり着く一週間、調査の一週間、帰りの一週間、風呂には入れないだろう。基本的にはロッジどまりだが、トイレは汚い、シラミのベッド、洗っていないシーツ・・・。いろんなことを聞くけれど、そんな文明人にとってのマイナス要素を割り引いても、やはりエベレストには魅力を感じる。荷物は最小限。だから、パンツも2枚だけしか持って行かないつもりだ。途中、洗うことがあるかもしれないが、そのときには「着ていれば乾く」そんなコダワリ素材のパンツ、シャツ、インナーでないと、荷物が重くなってしまう。

 そんなことで、昨日、ワリとウェアを注文したが、今日また名古屋にいったら、また数万円とんでいった。確かに、エベレストの荷物も軽くなるが、私の財布も軽くなった・・・。

 
 ところで、今日は気づけば仕事が午前0時を過ぎても終わらなかった。この時間から登ると、おそらく、以前のブログで紹介したTSさんに鉢合わせする。昨日は猪にあったところだから、今日はTSさん!となるとゴージャス過ぎるので、今日は金華山山頂はTSさんに譲りることにした。

 いやー、しかし、昨日は怖かった・・・。