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今日のイムジャ湖

imja_11 先日も書いたが、いまヒマラヤの報告書を書いている。その一環でヒマラヤにおいてきたフィールドサーバーというコンピュータが送ってくるヒマラヤイムジャ湖の映像を最近時々みている。左の写真は、2008年10月17日午前11時(日本時間)の映像だ。まだ湖は凍っていない。氷河の末端から崩れた氷山が湖の反対側まで移動してきている。

imja_20 そこから、9時間の間、イムジャ湖とナムチェバザールとのインターネット回線が切断され(日中は水蒸気のせいで途切れるらしい)、次の映像が送られてきたのが午後8時(日本時間:現地時間は日本時間からマイナ3時間45分)。そのときには、ほとんど全ての流氷が溶けている。驚きの様相だ!

 と思いきや、別の角度からイムジャ湖をとらているカメラの画像で見てみたら、風で氷河のほうに押し戻されているということが判った。まぁ、それだけのことだけれど、よくもまぁ、電気もインターネット回線もないこの天空の地の映像を、こうして日本から見れるものだ。感心してしまう。

えっ、本当ですか

 今日、久しぶりにKO大学のF先生から電話があった。これまで忙しすぎて、電話にでれない状態だったが、最近状況は改善してきたので電話に出られた。

 彼が言う。「ところで、夏にヒマラヤにいくという話ですが、いついけますか」。ええーーっ、それ本気ですか・・・。

 確かに、以前こういったことがある。前回の出発前のことだ。
 「湖の水深を測るために沢山の機材を購入したけれど、湖が凍っていました。測れませんでした。ではだめだから、夏の氷が融けているときに私一人ででもイムジャにいって、ボート浮かべて測ってくるから、安心してください」。なぁ~んてこといっていた。・・・。・・・。

 え、あの話まだ生きているのですか?という感じでびっくりしている。
 どうなることやら。

視聴率

 今日、先日のNHKクローズアップ現代の視聴率について情報が入った。14.7%だそうだ。これは記録的な高視聴率だったそうだ。
 温暖化の関心が高いということなのか、たまたまなのか・・・。これだけ関心があれば、継続研究の研究費申請も通りやすいのかもしれない。

恐るべし ヒマラヤ病?

 いろんな理由から本を読むことが、ここ2・3週間多くなった。土曜日は名古屋で「住宅資材の展示会」があり、林業を考えるために、午後から展示会に出かけた。途中、名駅の三省堂書店にいき、数冊かってきた。しかし、本屋に行くたびに思うが、まだまだ知らないことが多くて読みたい本がいろいろあるが、一冊何時間もかかることを思うととても気になる本を全て読むことはできない。本をむしゃむしゃ食べたら、そこに書いてあることの2%くらい分れば便利なのにと昔から思う。

 そんなことで、本を数冊買った。もちろん、読みかけの「天璋院篤姫」下巻も購入した。帰りの電車から読み始めた。午前2時には読み終えた。上巻は読みづらく時間がかかったり、途中で飽き飽きしてきたり・・・。しかし、下巻はあっという間だった。
 
 これは自分の仮説。

 上巻を読み始めたのはヒマラヤ帰り直後。いま、帰ってから一月たった。この一ヶ月の中での実感だが、帰った最初のころは頭をつかう仕事は「心ここにあらず」という感じで、うっかりしていることが多かった。もちろん、体力勝負は冴えているが・・・。最近は、頭を使う仕事も以前と同じ感覚に近づいてきた。おそらく篤姫が読みにくかったのは、ヒマラヤでの生活が脳みその回路を活字理解から遠ざけていたからではないだろうか・・・。そう思といろいろなことが理解しやすいので、もう勝手にそう思うことにした。

 さて、篤姫。面白かった。原作とドラマとの話の筋の違い方もそうだが、たとえば、慶喜の描き方も司馬遼太郎の『最後の将軍』とまったく異なる点もおもしろい。

 幕末の歴史に興味を持っていた亡き兄が、そこに何を感じていたのか知ろうと思い、幕末の歴史書や小説を読み漁っていた時期がある。兄が好きだった竜馬から読み始めたので、司馬遼太郎の『竜馬が行く』から読む。これまでも気になっていたが、司馬遼太郎は主人公を「完璧」な「英雄」にしたてあげる。そのおかげで竜馬には「人間臭さ」を私は感じなかった。『最後の将軍』慶喜についてもそうだった。それ以来、慶喜のイメージは『最後の将軍』で固定された。
 一方、篤姫の中の慶喜は・・・。NHK大河ドラマに釘づけだ。

NHKクローズアップ現代2

 NHKのクローズアップ現代で私たちの取り組みが紹介された。そして私も顔がでていた。そんなことはともかくとして、懐かしい顔や風景だった。

 F先生がインタービューをうけているときの右隣のキッチンボーイ(彼はのちにF先生と私が登山を行ったところのベースキャンプで拾った酸素ボンベを火にかけボンベを大爆発させ、5000mの湖に爆音を響かせただけではなく、ボンベが爆発するときの炎で眉毛がなくなり、手のひらに切り傷をした。もっとも危うく死ぬとこだったのだが)。また、私が荷物のチェックをしているとき(ルクラから50km、標高差2000mを数日、23人のポータたちが運んでくれた)の薮田さんや、シェルパの親分のサーダーであるラックパヌルさん。全ての人が懐かしかった。

 大学4年生のとき、テレビマンになって番組を作りたいと思った。学生時代に知り合ったテレビマンたちの熱意に感銘を受けたからだ。今も昔も、テレビマンの就職は狭き門だ(当時、プロダクションだとかをあまり理解していなかったため、テレビ局を受験した)。結局、受からなかった。そんなことで、ちょっとテレビマンには思うところがあった。

 ところが、今回ヒマラヤでテレビマンと3週間以上一緒に動いていたら、「俺にはできん」と確信した。情熱は負けないが・・・。社交性と大胆さは、俺には無理。毎朝テントにやってきて「今日はなにしますか?」なんていニコニコやってきたり、食事前や食事中におもむろにテントにやってきて、ニコニコしながら情報収集。集めた素材を切ったり貼ったりして自分の物語を作る大胆さ。あーーー、俺にはできん。どちらかといえば孤高でいたいし、主義主張はたとえ締め切りすぎるとしても慎重でありたい。

 やっぱり、いまの仕事があってるのかなぁ。そんなことをテレビを見ながら思った。

本を贈っていただいた

87dcbe33.jpg 前のブログで、ネパール・カトマンズのホテルで野口健さんにあって立ち話をしたといった。あの時、彼から名詞をいただいたが、私は名詞をホテルの部屋においていたため、名詞を渡せなかった。そこで日本に帰ってきてから、「名詞をいただきっぱなしで失礼しました」と一筆書いた。

 野口健。いろんな見方をする人がいる。私の周りにいる山登りや学者系統の人で彼のことをよく言う人は聞いたことがない。その一方で、彼のことを悪くいう人も聞いたことない。ただ、彼らは、ちょっと含み笑いをしながら「○○だというじゃない」と彼のことをあれこれマイナス評価しているようなニュアンスの発言をする。
 一方、一般人の多くは「山登りにチャレンジし、清掃登山などもしながら、ユーモアーたっぷりで割りと好印象」という人が多い。
 さて、私はどう思っているか。本人は自分の肩書きを「冒険家」「アルピニスト」と書いているが、それが「本気」なのか「お茶目なギャグ」なのか「そうせざるを得ない社会で仕方なしに・・・」なのか不思議に思っている。また、「植村直己」に影響を受け・・・なんていって、自分が植村ファンの代表のようにいうが(私が勝手に解釈しているだけだが)、植村ファンの私はジェラシーを感じる。それ以外は、いたって一般人と同じ感覚だ。
 とにかく、時代の寵児となって多忙な人であることは間違いない。

 そんな彼から金曜日、手紙をもらった。写真の本にサインを入れて。
 (余談だが、人からサインをもらうのは好きではない。サインをねだるということは手の届かぬ存在の人だから、そのサインがありがたいのであろう。だから、サインをもらった時点で私はその人に負けたことになる!と思っているからだ。その道の有名人といわれる人にあってもサインなどねだったことはない。しかし、勝手にサインをくれた人もいる。そんなサインで唯一、私の中でありがたく頂戴しているのは「植村公子」さん。そう植村直己さんの奥さんからのサインだけ。今回、まいった。野口さんにしてやられた・・・)

 職場で受け取ったとき、多忙な中お手紙つきでいただいたその本だったが、あまり読もうという気はなかった。以前聞いた講演と内容が重複していたからだ。が、寝る前、目次に目を通していたら「イムジャ氷河湖」について書かれたページがあるのを発見。そこで、イムジャ氷河湖のページを読んでみた。私達のことは2行程度のことだった。そんな中、ぺらぺらめくっていたら、写真が目に付いたページがあった。そこの記事を読んでいたら・・・。そんなことでパラパラ見ていたら読み終えてしまった。

 読み終わっての感想。前述、登山をする人、学者の人のコメントである「富士山清掃なんて綺麗ごとをいっているけれど、本人はぜんぜんごみ拾いしていないというじゃないか・・・」だとか「野口健、登山家ねぇ~」であるが、それをいう人は根性が曲がっているように思えた。あの本を読んで分かったことは「たとえ、野口健がごみ拾いをしていなくても、仕掛けたのは彼で、その運動を続けているのも彼だ。活動の原動力は彼だ。だったら、ごみ拾いしていなくたって野口健は清掃登山している、富士清掃しているといってもいいではないか。それを確信した。
 
 そんなことを言っていたら、岐阜城を作った織田信長は自分が大工になってカンナをかけて釘をうって城をつくらなければならない。誰もが岐阜城は織田信長が作った、というではないか。それと一緒。ごみを拾わなければ、ごみ拾いをしていますと公言できないなら、それはヒガミ根性以外のなにものでもない。

 ところで、私は趣味は?と聞かれると、時々「自分の限界にチャレンジすること」と言うことがある。野口健の本にこう書いてあった。
 『登山についていえば、趣味として今日のような登山スタイルを確立したのはヨーロッパ、なかでもイギリスの貴族クラス。限界に挑戦することにロマンを感じ、あちこちに探検や冒険に出かける』とあった。
 ウヒヒ、そうか。俺はイギリスの貴族クラスと精神構造は同じか!?・・・。

NHKクローズアップ現代

 23日の放送予定、どんな内容なのかとNHKのホームページで確認してみた。そしたら次のような内容だった。NHKのホームページ
 どんな内容に仕上がったのだろう。昨日も、イムジャの問い合わせがKO大学にあり、私にKO経由で質問が・・・。昨日は忙しくて回答できなかった。先ほど返事をしたが、果たして編集作業に間に合ったのか?

NHK放送日

NHK 私たちの取り組みがNHKで紹介される日程が明らかになった。6月23日午後7:30-8:00の「クローズアップ現代」。おそらく洞爺湖サミットが近づいてきたので環境問題、とくに地球温暖化、その中のヒマラヤ氷河湖という中での位置づけだと思う。つまり、私たちの取り組みを放送するのがメインではないということ。NHKスタッフとは四六時中一緒だったから、どんな映像がでてくるのかドキドキするにはする。写真は、イムジャ湖に運ぶ荷物が1トンを越えており、その配送責任者だった私が、NHKからインタビューを受けているところ(左の人)。

船 この写真は持っていった船をイムジャ湖に浮かべて航行しているところ。氷を砕きながら前に進んだが、前進ができなくなったところで、バックさせているショット。この船以外に2つのゴムボートを持っていったが(35キロ超える)、それぞれは次回の遠征のときにと、イムジャにもっとも近い村、チュクンのロッジに預けてきた。

 船外機が酸素の薄い現地で動くかどうか、冒険だったが、ホンダが改良してくれた船外機は馬力は落ちるが安定していた。
船2

閑話休題

影 今回のヒマラヤにはカメラのレンズは以前以上のものを持っていった。カメラはデジカメ一眼のキャノンイオス(安いモデル)。それにレンズはキャノンの200mmのLレンズ、28-200のシグマズームレンズ、12-24のシグマズームレンズ、50m F1.8、20mm F2.8のキャノン短焦点。前回の写真でなかなかいいのが取れたと思ったので、今回はそれを上回る・・・と期待しながら重いレンズを持っていった。
 ところが、あまりいい写真は取れなかった。まぁ気分が乗ってこなかったからだと思う。そんな中、幸いにもとれた4つのベストショッツを紹介しよう。

 まずは、標高5000mのベースキャンプの朝、8000mのローツェ方面をみると、雪の白・雲の白を背景に逆光でシルエットを際立った人を発見。テントに戻って200mmのLレンズを構えてとった写真。自分では写真を引き伸ばして飾ろうと思っている。

hosi 次の写真は、準備段階で説明したが、赤道儀とよばれる星の写真をとる道具を今回入手して、ぶっつけ本番で星の写真を撮ってみた。イムジャ湖では朝晴れ、昼曇り+強風、夜曇り、深夜晴れという天気が続いた。毎晩星の写真を撮ろうと頑張ったが、寝るときはいつも曇っていた。この写真は、深夜3時ごろトイレにおきたとき、見上げた夜空がきれいだったのであわてて赤道儀とカメラを構え撮影したもの。地球の自転にあわせて動く星を点に移しつつ、山も移るようにするためいは、広角レンズが適当だとおもったが、シャッタースピードがなかなか難しかった。

tent 次の写真は、アンプラクチャという5800mの峠を登るときのベースキャンプ。下痢気味だった私は、夕方、暗闇にまぎれてテント近くで排便をしていた。すると、光・雲・テントの明かりがぐっとタイミングだと直感した。カメラをもって外にでていた私は、用を足しながら石の上にカメラを載せてシャッターを切った。これから登る峠の不安・天気の不安・高山病への不安・死への不安・・・。そんな不安が写真で表現できたと思う一作。

niji イムジャこのベースキャンプから撤収したその日、4700mのチュクンという村で、ヒマラヤに残置していく荷物のチェックをしていた。すると見る見るアイランドピークあたりの雲が色気づき、あれよ、あれよというまに虹色に。そして、時間とともに色は濃くなり・・・。生まれて初めて見る「はっきりした日輪」に少々びっくりしつつ、ものの記念にシャッターをきった。

静かだったカトマンズ

a72cefe2.JPG 昨年カトマンズに降り立ったとき、粉塵・砂煙と排気ガス、車とバイクのクラクションで、一刻も早くカトマンズを離れたいと思った。今回もそのつもりだった。

 ところが、カトマンズに降り立てば、まず空港が閑散とし、前回びっくりした勝手に荷物を集めてチップをねだるなぞのオッサンもいなかった。そればかりではない。車のクラクションも許容範囲だった。なぜか・・・?もちろんそんなことは知らない。しかし、こう理解することにした。

 先の選挙で与党が破れ、マオイストとよばれる元反政府ゲリラが圧勝した。そのおかげで王政は消滅し、新規政権が樹立する。ところが、マオイストさえ想像していなかったという選挙。それほど、これまでの政権はこの国を困窮に導いていた、らしい。

 おかげで、町中は写真の通り停電につぐ停電。エネルギーは需要を供給が満たして折らず、夕方からローソク営業する店が数々。昨年は、単に街灯がともっていなかった(街灯はあるが、電気はついていなかった)だけだが、今回は、家の明かりもともっていなかった・・・。

 また、ガソリンが恐ろしく高い。ウル覚えで間違った数字かもしれないが、確か、トレッキングの最中、船を動かす船外機のためにガソリンを買ったが、一リットルが500ルピーだったと思う。カトマンズでかったわけではなく、ナムチェバザール近くのクムジュンという村(シェルパの村)だったため、割り高ではあるが、日本よりもはるかに高かった!!!

 500ルピー、日本円で千円程度だが、それがどれ程高いのか?
 
 のちに詳しく説明するが、ポーターの日当だ。40,50キロの荷物を一日かついでやっと一リットルのガソリンの値段に匹敵。

 カトマンズではもう少し安いとしても、そんな高価なガソリン(最近値上がったうえ、数量制限があるらしい)を購入できる人はわずかなものだし、そんな高価なガソリンだ、使い控えするだろう。

 そんなことだとおもうが、ともかくネパールは政情不安と物価の高騰で大変な状況のようだったが、クラクションや排ガス・粉塵がすくなく、少しは快適な町になっていた。