1988年3月沖縄本島を一周徒歩で歩いた。合計10日。大学一年生の春休みのことだ。
当時、人生最も遠方に行ったその旅で、私が衝撃を受けたのは、沖縄・ヤンバル地方の小学校での出来事だ。
沖縄の春は、毎日、雷をともなったスコールのような雨が降る。そんなこと知らなかった私は、あるきはじめたときは晴れていたが、やなて雲行きが怪しくなり、頭上で雷がなり洗面器をひっくり返したような雨に遭遇した。運悪く、それは20キロ毎に村が点在し、その間は無人地帯の領域にさしかかったときのことだ。
落雷に打たれる恐怖にいざなまれながら、雨を凌ぐことができない道をひたすら歩いた。するとやがて「スクールゾーン」と書かれた道路のペンキに出くわし、走ってそのスクールゾーンを追った。
「高江小中学校」それがスクールゾーンで示されたサインの終着点。私は、じゃまにならないように、湿ったリュックの荷物をとりだし、雨止みををまった。
2,3時間したころだろうか、少年が私の元にやってきた。
「先生が、一緒に給食を食べないかといっているけど、どうですか」
少年はそういった。
その言葉に大いに驚いた。しかし、次の言葉はそのことばの印象を消し去るインパクトだ。
「ありがとう、じゃぁ、いまリュックからだしている荷物を片付けてから、教室に行くね」
すると少年は言った。
「おにいちゃん、ここは人の物をとるような人はいないから、そのままで大丈夫だよ。ワハハハハ」
結局、給食をごちそうになり、弁当をもたらせていただき旅を続けた。
あのときのお礼を・・・と思い、7年前にかの小学校を訪問し、岐阜名産の柿を届けた。依頼、毎年阿晩秋にはその学校に柿を送っている。
昨日、全校6名の小学校から手紙が届いた。
これからも岐阜の柿を送りたいと思う。