林業話」カテゴリーアーカイブ

愛媛から帰還

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月曜日の9時に小牧を出て、愛媛についたのは4時前。
いつも恒例になった瀬戸大橋のサービスエリアでうどんを食べていたので、若干遅くなった。
いつも殿のお宅におじゃますると、冬でもベランダにこしらえたファンヒーターのこたつ(食卓テーブルに毛布をかぶせ、足を入れる空間にファンヒーターを入れていた)で本など読んでいた先生だったが、今年は薪ストーブを焚きっぱなしだとのことだ。年取って寒く感じるようになったとのこと。やっと凡人の肌感覚になったようだ。

さておき、火曜日に久万高原町で打合せがあり、集合時間まで時間があったので、道路から見える範囲で山を見て回った。年間20万立法の素材生産量があるこの町。スギ・ヒノキの混植も特徴的だが、ヒノキの間伐が行き届いているのも特徴的だ。普通、あんなに一本一本がはっきりしていない。
珍しい風景の町だ。
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間伐材の使いみちの1つ

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最近は、職場と家を歩いて通勤することが多い。片道50分。
そんなことで、渋谷に行った時もアポイント先までは歩いていった。
途中、植え込みを支える木質の丸棒を発見。

素の丸太かと思ったけれど、そばにいくとそれが丸棒に加工されたものだと分かった。
丸棒に加工しても、値段があうといことは、随分木材の値段も下がったものだ。

何か工夫すれば、もっと林業も頑張れるはず。

林業ウィーク

豊田→山形→愛媛と今週移動してきた。

豊田では、負の興奮して(ガッカリ)
山形では、正の興奮して(先方に、ご評価いただけた)
今日、愛媛では中規模山林所有者の将来計画について一緒に議論する。

今回のことをキッカケに、いままで止まっていた林業時計に少しネジをまいたおかげで、いままでとは違った視点ができたように思う。

行政と林業会社の行動の深層がいままで見えなかったところまで見えるようになったきがする。歳をとったために、乱視がきつくなって目が見えにくくなったのだが・・・。

一つ目のお話し完了(すません、興奮しています)

今日は、愛知の山奥に出かけてきた。林業の話(森林境界明確化の話)をするためだ。
随分、不思議な研修会だった、と帰りの道中思ったりした。

私の関心は、林業の「産業としての自立作戦」。
ただ、マーケットの動向を考えると、今は何をやってもしょうがないときだ。無理してまで新しい取り組みをするときではない。私はそう考えている。

しかし、国は「儲かる林業」を目指して舵をきった。それを実現する大きな手段として導入されるのが「森林経営計画」。万人に経営計画をたてさせるため、国はこれをたてないと補助金がもらえない仕組みにする。政策を実現させるためのムチ(経営計画)とアメ(補助金)というわけだ。実はこれは矛盾していると私は考えている。

儲かる林業をするということは(政策目標)、補助金をもらわずとも林業を目指すということだ。ならば、それ(儲かる林業を構築したい)を目指せとする一方で、その実現のために儲からない林業を支援する(補助金を経営計画をたてたところに集中)ということは矛盾している。私はそう考えている。(しかし、先日林野庁にいき、そのことをおかしいじゃないかと出稽古してきたら、そのバックグラウンドで起きている実情を理解したので国の方向性は理解した。)だから、儲かる林業を本気で目指すなら(私が目指すこと)、経営計画なんて無視!だ。一番賢いやり方は、のらりくらりと行政に対応しながら、いただくものは頂くこと。生真面目に政策に振り回されるのは気の毒な話だ。私は、現場はそうすべきだと思っている。

今日の研修会は私のその理解と大きく異なっていた。
「林業を自立させるための政策が始まった。だから、そのためには経営計画をたてなければならず、森林境界も・・・。」どうやら本気で研修の主催者は「森林経営計画=儲かる林業」と考えているようだ。

『それは違うだろう・・・』と思ったが・・・。

また、研修会で「スウィングヤーダー・プロセッサー・フォワーダー」という話があった。これをつかうことで生産性があがった。一人あたりの集材量が◯◯立法メートルから××立法メートルになった。だから機械を導入して生産性があがった!
私は質問した、生産性が必要なら、どうして皆伐をせず、列状間伐なのか?この山はどんな山づくりのビジョンを持っているか?会場の人も加わり情報交換ができたが、大方の意見は「今はきっても儲からないから主伐は行わず間伐をして出している」、どんな森づくりをするか?なんという考えはまだない(ちょっと極端だけど、そんなニュアンスを感じた)。

また生産性のデータを比較するときは、その林分から収穫する本数で比較しないといけない。なぜなら、同じ10本を収穫するのでも、小さい木でも大きな木でも収穫デマは大してかわらないので、大きな木を収穫したほうが生産性が高く数字上映る。ニュージーランドの林業をみてそう思った。彼らの生産性は日本の10倍以上だが、木の大きさも10倍以上。一日の収穫本数は日本と大して変わらなかった。

先の私の「生産性を全面に出して説明するならどうして皆伐で生産性をあげようとしないのか?」という質問に対して、その回答は「今は材価が安く、育林に260万くらいかかってきた」だから「いま250立法を出しても所有者は儲かる計算にない」「したがって、いまは主伐をせず手入れをする時期と考えている」といことだった。

この説明、よく聞く話だ。私はそれは違うと考えている。260万の育林費を所有者は出したのか?半分以上、もしかしたら3分の2以上は補助金が入っているではないか。国際マーケットで流通する世界の収奪林業(生えている木を伐る林業;木のコストはゼロ:収奪林業の原価=収穫コスト)に対抗できるよう、高い人件費の日本での育林費を国が肩代わりするため(植えて収穫する林業には、木にコストが発生している:育林林業のコスト=収穫コスト+育林コスト)補助金が投入されているのではないのか(日本の主たる産業を二次・三次産業とするよう政治決断がされた代償として)?だから、育林費が260万という原価の考え方は、間違っている。

林業業界、保育なのか、儲かる林業なのかもっとはっきりさせて考えないと、錬金術探しをしているだけで、政策を実行に移す側がその理解では、現場は政策に翻弄されて消耗してしまう。そんな風に私は考えている。

施策は一体何をみているのか?いま、分かっていることは、現場は市町村をみて、市町村は県を見て、県は国を見て、国は世の中を見て・・・。なんだかこの伝言ゲームどこかで変なことになっているように思う。現場が困らないためには、もっとみんなが勉強しないと、と思った研修会だった。

※追伸
前述、「今はきっても儲からないから主伐は行わず間伐をして出している」ということならば、それは間伐を肯定する理由にはなるが、生産性重視を肯定する話(私が彼の話が生産性があがったから良かったということに終始していたので、私は質問しただけだ)にはならない。あくまで生産は販売とセットだ、と私は思う。市場が熟していないなら(私のマーケット分析では現在市場は熟していない)、伐り捨て間伐で放っておくほうが業界のためだと思う。
一方で、機械化を肯定する理由が、少しでも、所有者に還元したいからという理由で材を出すなら(儲かりはしないが小遣いにはなるという話はたしかにあったので)、じゃぁ小遣いを得るために、借金して、借金させて林業機械を導入しているということか・・・?そうではないだろう・・・。

勧めるがわも、乗っかるがわも、すべて世間のオモテウラを理解し、あうんの呼吸でやっている話なら、安心なのだが、どうも実情そうではなさそうで・・・。だから、私を含めてみんなもっと勉強しないといけないと思った。