筆との格闘」カテゴリーアーカイブ

敢えて挑戦

自ら遠方へ出かけて話したとき、先方に共感していただけるネタがある。そんな私の”思い”や”考え”を届けるには、より多くの人と対面して話さねばならない。それには、時間が足りないし、労力もきつい。

このネタには旬がある。なるべく早くお伝えしたほうがよい話だ。急いで皆に知らせないと・・・。だから短時間で多くの人にお知らせしたい。ならば”書籍”しかない。

そんなことで、本をかかせていただけることになっていたが、前回の本で手間取り、本来の期限を過ぎても筆が進まなかった。”森林林業再生プラン”の現状に、筆の勢いがさかれ、当初の構想が崩れ、悩んでいた。これでは出版社に見放されるなぁと思っていた。

しかし、私へのリクエストがまだ健在であることが確認できた最近、にわかに創作意欲がわき、いままでの悩みのポイントを解決するためのアイデアが出てきた。3月林業月間をすごしたおかげだ。

そこで全体の物語を構成し、大方OKも出た。

いま、新しい授業やプロジェクトで、時間のかかるインプットをせねばならない。そこんところに、自分”らしさ”を発揮したアウトプットをせねばならなくなった。このアウトプットが苦しいんだよなぁ・・・。いままでは、同じ事をずーっと考えていて、その考えていることをどの切り口で書こうかと、繰り返し頭の中で演算していたが、今回はそれをする時間がない。さて、どうしたものか。

望むべきは自分へ負荷をかけ、サイヤ人がスーパーサイヤ人になるような・・・、死中に活でニュータイプになるような・・・、新しい能力が出現することだ。ともかく前回の連載からの書籍化と異なり、最初から書籍。出現するかわからないけれど、新しい道の領域に一歩踏み出すことに、ちょっとドキドキし、楽しみでもある。どんなことが自分に起きるのか・・・。結局書けないあるいは、惨めなアウトプットにしかならないかもしれないけど・・・。

国語力ゼロの私にはよく分からん

NHKのニュースで、「◎◎となるのもやもーえない」と言っていた。そうそう、気になるんだなぁこのことば。”やもーえない”。私としては、どこぞの芸人が言うならまだしも、日本語のトレーニングを受けているNHKが「やもーえない」というのは・・・。気にかかる。「止むを得ない」(やむをえない)が由緒正しき言い方では?

また、もう1つ最近気になっている言葉。「◎◎はありうる」という表現。うーーん、「◎◎はあり得(え)る」なんじゃぁないのかな?

そんなことを思って調べてみたら、下二段活用、下一段活用・・・。まったく意味が分からんことで説明してあった。

あかん、解らん・・・。

あかん、俺には理解できん・・・。

職場にいったら、背広を着たり、袴を着たりした学生と思しき人々が講堂の前に集っていた。ははーーん、今日は大学の卒業式なのか?

さて、卒様式私には理解出来ないことがある。
父母の参加だ。
小中高まではなんとなく、父母が参列するというのは判らないでもない。けれど、大学生、大学院生の入学式・卒業式に父母が喜び参加するというのが、私の感覚にはない。

自分でいうのもなんだけれど、私はさすがにウブだった大学の入学式には参加した(参加しないといけないという、これまで自分にされてきた教育の延長線で考えていた)。小中高は授業は欠席しないもの、遅刻しないもの・・・。そんな教育をされてきた。けれど、大学に入れば、授業に出席しない自由もあることを知り”信じるものを信じて進めばいい”ことを知った。だから、卒様式だといっても、その意義がわからなかったので、出席しなかった。また、大学院の入学式・卒業式も出席していない。

そんな私からすると、父母が着飾って子供の卒業式に参加するということが理解出来ない。22歳以上の大人をつかまえて父母が子供の卒業に出席し、子供の卒業を祝うというのはどのような心境なんだろう。私にはノーアイデアだ。

ただ、唯一考えらえれるのは、子供への仕送りをし続けた親が「あーやっとこれで授業料と毎月の仕送りを卒業できる」という安堵感を得るために、子供卒様式に参加するということだ。つまり、卒業式の主役は子供ではなくて、本人(親)だ?しかし、よー判らん・・・。卒業式や入学式はなにがメデタイのだろう。入学式は、そこがゴールでもないし、卒業式もそれがゴールではない。単なる道の途中にある石ころみたいな儀式だと思うのだが・・・。

思いがけず・・・

今日、一枚のはがきが職場に届いた。
その思いがけない、丁寧なごあいさつをみて、少々放心状態になった。葉書は、いまの自分に「色」と「精神」をくださった方の縁者からのものだった。その縁者とは世界のヒーロー、そして私の永遠のヒーロー、世界7大大陸最高峰世界最初登頂者、ナショナルジオグラフィックで表彰された国民栄誉賞受賞者の奥様からだ。

大学1年生までの私は、別段アウトドアなことに興味があったわけではなかった。単なる、カンフー好き、ギター好き、天文好きのノー天気少年。そんな私が、大学入りたての春、何気なく映画館に入って見た「植村直己物語」によってアウトドアへの経絡が開かれた。それ以来、入った大学の学科を変わり、大学の長期休みは小冒険に費やし・・・。そして今に至る。

そんなことで、彼は私にとって”目指すべき方向”であり”追いつけない偶像”だ。

最近出させて頂いた、私の本の中で、彼には2度ほど登場していただいた。自分が彼にどう影響をうけたか・・・を説明するために。

といわけで、私は、いまは亡き彼の奥様に、そのことを知っていただこうと思った。しかし、もちろん住所は知らない。そこで、彼を支援していた出版社気付、奥様当てに書籍とご挨拶の手紙を送った。

そして、それい対する挨拶葉書が本日来たというわけだ。

私は手紙の中で、「どれほど彼に影響をうけ」「それによって、どんな意義ある生き方を知ったか」「自分に意義ある生き方を彼がくれたよう」今度は私が「植村スピリッツをいただいたものとして」「後進のために彼を語り継いでいきたい」とご挨拶した。

そして、それに対して「ご挨拶を拝読し植村に対する思いを知りました。うれしいことでございます」との言葉をいただいた。

これにより、また一人、その人に対して恥ずかしい生き方をしてはいけない対象の方ができた。いつまでもその方に正面から顔向けできるような生き方をこれからも続けていこうと思った。、

お詫び

竹庵道場の卒業生の皆さん。御免なさい。

先日、発刊された「私の書籍」皆さん全てに配りたいのだけど、配る余裕がなくて・・・。本当に御免なさい。いろいろ配布していたら、手元に購入した40冊があっという間になくなってしまいました。

皆さんには、本以上のフィードバックがいくよう、日々おのれにむち打ち精進しますので、それでなんとか今回は許してください。

ここ一週間、もう一冊書こうとしている本の構成がフツフツと湧いて、創作意欲が桜島の一歩手前の状態になってまいりました。

万年筆

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あーーー、本当は来週の講演の準備をしなければならないのに、神が手に降りてこないから、こうしてブログを書いて降臨を待つ。

さて、私のささやかなコレクションは万年筆だ。なにも”モノ”として好きなわけではなく、物書をするモチベーションを維持するために、モチベーションが下がり始めるたび、万年筆を買い、モチベーションの向上に務めている。決めている基準は1本1万円以下。それ以上の万年筆になると、時にペンが重く書き味が悪いものがおおいという印象がある。だから実用的なことを考え、チープな万年筆が私のお気に入りだ。

普段使いは、ペリカンというメーカーのペリカンジュニア。2千円もしない万年筆。これなら、なくしちゃっても許容範囲だ(実際、すでに一本なくした)。

ちょと気張る時には、「ウォーターマン」「パイロット」の1万程度のものを使うのだが、持っていて楽しい気分になるのが写真のペリカンのスケルトン。

私は小学校から中学校に上がる時、子供会から名前入りの万年筆をもらった。それが嬉しかった。なんだか大人に近づく感じで・・・。

そこで、弟の子供が来年中学生になるにあたり彼に万年筆を送ることにした。もちろん、彼の名前入りで。出来れば、写真のブルーのスケルトンの中字を送りたかったが、すでに完売の様子。しからば・・・、別の実用万年筆を!デジタル世代の彼は万年筆をどう思うのだろう。DSよりもずーーーとつまらないものにうつるだろうなぁ・・・。

都の大将

先日、発売された私の書籍。

書籍を発行すると、各方面に書評を書いていただき、販売促進をはかるという習慣があるようだ。マスコミに書籍を送付し、書評を書いてもらう。書評を書くチャンネルをもっている個人に、書籍を送付し書籍を書いてもらう。そんな仕組みがあることを初めて知った。

出版社から、そんな書籍を書くチャンネルについて問い合わせがあった。学者や学会で今回の書籍の書評を書いてもらえる団体はないか?

そこで、提案した。測量協会や、写真測量学会、土地家屋調査士協会など・・・。

そして一か八かの勝負を申し出た。先日、芥川賞の候補にあがってくる作品は刺激がないと言っていた都の大将に、私の本を送ってもらえないかと半信半疑で出版社に頼んだ。

そして昨日、出版社から連絡がきた、測量業界、大将に送りましたと。

大将がよんでくれるとは思わないが、何かそれが触媒となり私のパワーアップにつながればと思う。