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さらば オバボタル

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 森林調査でここ数日、夜の金華山トレーニングはできなかった。今日、数日振りにトライ。10キロの丸太に2キロのペットボトルを背負って、今日もいつものコース「馬の背」登山道。空身のときは心臓破りの坂道もカモシカ(?)のように駆け上がることはできたが、12キロの荷物、しかも夜、無灯火で登山となると慎重になる。足の先に全神経を集中させているけれど、足を踏み外しそうになりバランスを崩すと体制を立ちなおすために余分な筋肉をつかって、しんどい・・・。しかし、半年前にいまより8キロ太っていたことを考えれば、半年前に4キロの荷物を背負って山登りしているのといまのは同じ感覚なハズ!こんなことで泣き言いっててはダメだーーー!と自分を鼓舞して心臓破りの坂を上っていく。

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 そんなしんどい山登りも、帰り道の「オバボタル」の闇夜に埋もれそうな淡い光が慰めになり、ここ2日は夜の金華山でホタルを眺めてかえったものだ。さて、今日もいるかなぁ~。ところがいない。どこにもいない。
 そういえば、今日から黒の上着を着だした高校生が急に増えたなぁ。そういえば「セミの自然誌」という本で、セミは温度と湿度で鳴ける条件が決まっているから、クマゼミとアブラゼミとは鳴く時間帯がことなるというようなことが書いてあった。それと同じように、今日の気象条件ではオバボタルは光らないのかなぁ・・・。いやいや、急激な寒さで恐竜の絶滅のようにオバボタルの世界で流行病(はやりやまい)でバタバタと絶滅してしまったのかなぁ・・・。いやいや、きっと皆さなぎになったのだろう・・・。いやいや・・・。そんなことを考えていたら、家に着いた。結局今日はホタルに会えなかったが、今日もホタルに結局慰められた。

 さらば、オバボタル!楽しい一夜をありがとう。

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11時15分登頂

 凛と締まった漆黒の天空に、まばゆく光る天の川。その銀河を悠然と泳ぐ白鳥、琴、ワシ。今年の乗鞍高原、夏の大三角形。あんあに猛々(たけだけ)しかった夏の星座が今日は西の空でずぶ濡れになり羽をぬらして弱弱しい。変わりに東から、まばゆいスバルが昇っていた(光りは冬ほどキュンとくる輝きではなかったが)。今日、金華山からの下山途中、岐阜市の夜景を見渡す小高い岩に立ち、空を見上げて季節の移り変わりを星座で実感した。久しぶりに今日は星が出ていた。秋雨前線で曇りがちで、しばらくの間星が見えなかった。うーん、と妙に感心して物思いにふけりながら家路を急ぐ、午後11時30分。

 気分よく小高い岩から降りて、また樹林の小道に入ったら、現実が待っていた。1mごとにくもの巣に引っかかるのだ。せっかくのいい気分もクモの巣だらけで、興ざめだ。

 しかも、「オバボタル」。今日はビデオに収めようとビデオを持って登ったが、まったく役に立たない。光が淡すぎてビデオに写らないし、ナイトモードにしたらモニターがまぶしすぎて目がくらみホタルの光がわからない。しかも、草が明るく写りすぎ、かりにホタルが写っていてもホタルの輝きは打ち消される・・・。残念・・・。次回は、EOSのデジカメを三脚で撮りなんとかオバボタルを記録しようと思う。

 ところが、明日から月曜日まで学生を連れてキャンプしながらの森林調査。金華山からすくなくとも2日間遠ざかる。ホタルさん、まだ数日持ちこたえてね。

 ちなみに今日は先日の丸太に加え、ペットボトル2リットルを加えた12キロの夜登山でした。

斉藤・織田ホタル

 昨日、命名した斉藤・織田ボタルが頭から離れず、えっ、もしかして新種!?などとわくわくしていた。インターネットで「夜光虫」だとか「ほたる」だとか「芋虫」、「光」「秋」などと検索していた。どうもよく分らん・・・。新種の期待高まる!

 そこで、職場の、こーいった虫や鳥に詳しい同僚に「昨日、よる山の中で光るホタルのような明かりを放つ、芋虫をみた」といってたずねてみた。すると、彼は「あー、それはきっと『オバボタル』ってやつだとおもうよ。この時期といのがちょっとふしぎだけれど、ホタルはホタルでも幼虫のうちに光って、成虫になると光らなくなるやつだよ」と教えてくれた。

 インターネットで、オバボタルをしらべてみた。たしかに、体長1cmくらいで光る幼虫、秋まで光っているということだった。成虫は夏に飛んでいるようなので、きっと幼虫からサナギになる過程で冬をこすのだな。ホタルといったら、源氏ボタルと平家ボタルの二種類だけかとおもったけれど、どうやら日本には36種類(だったけなぁ)のホタルがいて、光らないホタルもいると。そうか!山で確かにホタルににたむしだなぁ~と思う虫がいたけれど、あいつらはホタル!だったんだ。

 昨夜のホタルでホタルへの理解深まりました。

追伸:
今日も無意味登山をしようとおもったが、家に着くなり雨が降ってきた。山登りの変わりに、スクワットをして登山の代わりにした。

新 金華山物語開始

2b65814c.jpg よせばいいのに・・・。新金華山物語をはじめることにした。実は望遠鏡を買うための目標だとかいって、夏に金華山を30往復することにしたが、それには、大きな背景があった。この秋、ヒマラヤへの調査に誘われていたのだ。当初、そんな20日も仕事を休めないのでと、あきらめていたのだが、ヒマラヤもエベレスト山麓ということで、なんとかいけたらと環境を整えていた。そしたら職場の理解もあり、昨日どうやら、今月下旬エベレスト山麓(5000~6000m)の氷河の調査(地球温暖化にともなう氷河の後退に関する調査研究)に参加できることになった。というわけで、これまでは可能性は低いかもしれないけれど、参加可能になったときに十分働ける備えをするために、金華山に夏に登っていた。苦しみながら・・・。しかし、おかげで山登りはだいぶ楽になった。しかし、問題がないわけではない。

 金華山に登るとき、第一回目は水筒500ml一本リュックに入れていた。しかし、2日目から、水だって我慢すれば飲まずにすむことを発見。しかも、どうしても水が飲みたければ山頂に水道もある。だから、金華山登山は空身(からみ)でやっていた。しかし、今回の調査は調査地まで歩いて一週間かかる。しかも標高は2800~6000mの移動。これを空身で行くわけにはいかない。相応の荷物を担いでいないといけない。

 というわけで、金華山物語第一章はとにかく30往復がテーマであったが、今日から出発までの約一月は「体に負荷をかける」をテーマにして、金華山登山を再スタートさせることにした。

 そこで思いついたのは、無意味に荷物を背負って山に登ることである。昨年、今年ニュージーランドのトンガリロクロッシングにチャレンジしようとしていた。結局、2年連続悪天候に阻まれこのトレッキングはできなかった。しかし、そのトレッキングで「水を2リットル」つまり2キロの水を担ぐことに尻込みしたという恥ずかしい経験がある。が、今回のヒマラヤはそんなことはいっていられない。空気は薄い、高山病の心配、2キロで尻込みしているような体力では生還できない。そこで、写真のように丸太を担いで無意味に山に登ることにする。今日は10キロ(背負子を含め)であったが、出発前までにはなんとか20キロくらいを担いで登るように徐々にオモリを増やしていけたらと思う。

 ところが、そんな無意味なオモリを背負っての登山。どう考えても変態である。すれ違うひとが「首をかしげ」、あの人、頭おかしいのではないか・・・などとおもうにち違いない。どう考えても恥ずかしい。そこで、人目につかないよう、夜登山をさっきしてきた。

 今日の収穫は2つあった。一つはライトアップされた岐阜城は11時に消灯であるが、その瞬間を現場で立ち会ったことである。下からみていたら、ブレーカーが落ちるように「バチッ」っといってライトが消えるような気がしていたが、実際はなんの音もしなかった。またライトが光っているうちは秋の虫がないているが、ライトが消える瞬間は秋の虫が一瞬息を呑むように静寂ができるのかとおもったが、そんなことはお構いなしに、虫の音は続いていた。さらに、誰かが消しているのかな、消した後ロープウェイで降りてくるのかな、などと思っていたが、タイマーで消えているようだった。(でもそのタイマー、どうも3分遅れている)これが収穫1。

 二つ目の収穫は金華山の下のほうまで降りてきて、町の光が時おり木々を通して登山道にもれてくるようになってきたとき、斜面で光る物体を発見したことだ。あかりは、ちょうど蛍のような光だった。この季節に蛍はいないが・・・。と思い考えてみた。きっと葉の上の水滴が街の光でたまたま光っているのだろうと思い、水滴を確認しようとライトを近づける。水滴はみえない。気のせいかとおもいライトをけしてしばらく暗闇を見ていると、やっぱり蛍の光。これは何だろう?光はゆっくり動く。光は明かりを増減させている。なんじゃコイツは?落ち武者の魂か・・・。それにしてはやけに小さい人魂だ・・・。他の光も近くで発見。ライトを近づけて調べてみたら、どうやら、テントウムシの幼虫のようなかっこをした体調1.5cmくらいの芋虫だった。その芋虫が光っていたのだ。下山途中、あちこちにその芋虫がいた。初めて見た!この虫の名前なんだろう。下山途中、仮の名前をつけてみた。源氏ボタル、平家ボタルを改変し岐阜城にちなみ「斉藤・織田ボタル」。

金華山に集う人々 なぞの人物編 TSさんの毎日 その2

金華山に登ってみるとそこは予期した以上なワンダーランドであった。確かに山頂には岐阜城があり、リス園がある。そんなことは百も承知。登山していて自分は汗水たらして登りきったら、涼しげな顔をしたハイヒールの姉ちゃんが山頂を闊歩する。そんなのは覚悟の上。
山頂に御岳教の小さな社があった(ここまでは心の準備もできていた)。そしてその社に向かって拍手を打つ人もいた(ここも理解可能)。その拍手を打っていたおっさんがおもむろに社の端に目立たぬようにおいてあったブリキ製の菓子箱を開けて、なにやらノートを取り出し書き込んでいるではないか?なんじゃぁそりゃー?
私は入れ替わり立ち代り社に向かって拍手を打つ人らを観察し、その中の多くの人が菓子箱を開けなにやら書き込んでいるのを確認した。そして、人の流れが滞ったとき、おもむろに菓子箱を開けノートを取り出した。ノートを取り出しあけてみると、そこには何時何分、誰がここに来たかというのが書いてあった。これには驚いた。なんじゃそりゃー。私にははじめての体験である。登った山頂に宿帳があったのだ。・・・とは言っても今考えてみれば、それは理解できないわけではない。その4年後私は毎日の金華山登山をブログに載せている。きっと何かの励みにしているのだろう。
では何がワンダーランドで私の予想の閾値を超えたのか?宿帳に記載されたTSという人である。この人の行動を紹介しよう。TSさん(男性)は毎日金華山登山をしている。しかも必ず一日3回。不思議なのは彼の名前が宿帳で連続していることである。なぜ、連続するのか?彼は一人、草木も眠る丑三つ時(うしみつどき)から太陽が昇る間、一人3往復しているのである。しかも1往復は決まって1時間。おそるべしミスターTS。私は想像した。
可能性1。彼は新聞屋か牛乳屋である。昼間には登れない。かといって一仕事終えたときには疲れていて、金華山を登る気力がない。したがって彼は新聞業務が始まるちょっと前におき、ひたすら金華山を登り日々の仕事の体力づくりをしている。
可能性2.彼は岐阜市にある山岳会の会員で近々ヒマラヤ遠征を控えている。そのヒマラヤ登山のため彼はリュックの中に重いオモリを入れ込み、一人深夜の金華山を登り続けているのだ。
可能性3。彼はすでに80歳を超えている。年齢とともに朝早起きが高じ、いまでは午前零時に目が覚める。ところが、午前零時ではバアサンはまだ夢の中。午前零時に目が覚めてごそごそしていたらバアサンに怒られた。そこで彼はまだ人気のない、しかも徘徊老人として警察沙汰にならないように金華山に登り続ける・・・。
しかし、なぜだろう・・・。TSさんはいったい何者?あれから4年たったいまでも、山頂のノートにはTSさんのリズムが刻まれている。そんなTSさんと山で待ち伏せし彼の正体を突き止めたい!そんな好奇心が私を夜の金華山に誘うのかもしれない。・・・。とはいえ深夜予期せぬところで人に会うのが怖いので午前0時以降の登山をする勇気がまだ満ちていない弱虫の私である。おそるべしTSさん。

金華山に集う人々 なぞの人物編 TSさんの毎日 その1

 私がこの金華山の麓に越してきて今年で3度目の夏を迎える。

 ここに越してきた初年度、山好きの人たちは私に、私が金華山をときどき登っているかのように話しかけてきた。ところが冗談ではない。金華山のどこに魅力的があるというのだ。清流があるわけでもなし、ロッククライミングのゲレンデがあるわけではなし。大体金華山なんてファミリー向けの山だろう?なんでそんな山に登るのか?登山のための登山はあまり得意ではない。登山にはなにか不純なな動機がなければ・・・。そんなことで、私は一度たりとも登ったことがなかった。むしろ金華山には興味もない。そんな気持ちであった。
 ところが、その年の冬登らざるをえない事情ができた。これまで鉄筋コンクリートのマンションなどに住んだことがなかった私。学生時代の下宿はもちろんのこと、サラリーマン時代でさえ、壊れそうな木造アパート。サッシは木製。隣の部屋の明かりが漏れてくる。そんなアパートに住んでいた。むしろ私はそんな雰囲気のところがすきなのだ。ところが訳あって、このマンションですむこととなった。そのときの驚きは、その冬の暖かさであった。基本的に寒がりの私であるが、夜帰宅し、家のドアを開けると少々暖かい。昼間にマンション全体が暖められ夜に放熱をしているため、また、上下左右の方々の暖房が壁を暖めるためか、私の部屋も屋外に比べて暖かくなっているのだ。そうなのだ、冬でも暖房要らずで暖かかったのである。だから私は正月休みにこそ一日家にいることが多かったため、床暖房(暖房器具はそれしかなかった)をつけることもあったが、日常は暖房なしでくらせた。
 ところが、2月ともなると冷え込みはきつくなり12・1月のような暖かさがなくなってきた。・・・。暖房をつけようか・・・。だいぶ苦しんだ。いやいや、暖房はつけないと途中で決めたじゃないか?私は自分に言い聞かせて厚着をして寒さに耐えた。でもさすがに2月の下旬にもなると、とにかく寒くてなにもできない。そこで私は考えた。なんとか暖かくならないか?

 私が思いついた結論は、裏山の金華山に登って体を温めよう!である。私はその年の冬、生まれて初めて金華山に登った。

(つづく)

山を越えて

ee8ecc83.jpg今朝、私の住む家から金華山の反対側に用事があった。道路で行けば金華山を大回りして12キロくらい。その距離も車で行けば10分。自転車でなら20分。走って行けば1時間。やっぱりここは、せっかくついた筋肉を落とさないように、片道1時間半で金華山を登頂し、反対側に降りる登山コースで用事を足しに行くことにした。うひひ、もう最もきつい「馬の背」以外での金華山登山は考えられない・・・(他は辛くもなんともなく、登れてしまうので)。
結局、のぼりに20分。下りに10分。家から金華山の上り口、金華山の降り口から用事のあるところまでの時間を加味したら55分で用事を足せた。帰りは、用事さきの方が家まであっという間に送ってくださり、本日二往復を覚悟していたが、幸か不幸か一往復。

しかし、きっと道がなかった大昔、人はこうして峠を越えていたんだなぁ~~。

金華山につどう人々 その1 女性編

 回想金華山。思い出深きは金華山ですれちがう人々。

 夏の初め朝6時半。顔を紅潮させながら、彼女は一人黙々と山に挑んでいた。まったくよくいるタイプの女子高生(女子中生?)とすれ違った。おはようございますと投げかけると小さくはあるがちゃんと返事が返ってきた。えっ、一人で?しかもいまどきの女の子じゃないか!なんでこんな時間にひとりで登ってんだろう。ダイエットか?いやいや、太ってはみえないからそうではないだろう・・・。すれ違ってから想像をたくましくして楽しんだ。
 さて、今日もいるかな。おっと俺は変態おやじか・・・。でも、私はがんばる子にエールをおくりたい(もちろん話しかけるわけではないが)と思った。しかし、彼女、あの日以来見ていない。どうしちゃったんだろう。あの黙々さ。もしかして夏休みに引越しがあり、それで思い出深い生まれてからずーっと育ったこの環境をこの足で最後にしっかりと踏みしめたくて、引越しの車の出る前に、一人黙々と顔を紅潮させながら(ときには涙なんか流したりして・・・)登っていたのだろうか。まぁそんなことはあるまい。三日坊主だったのかなぁ~。

 金華山にはなぞの女性が多い。朝6時かならずすれ違う美女(に違いない)がいた。瞑想の小道を降りるとき、一人ゆるゆる登ってくる年の頃は20台後半から30台後半。・・・と思われる女性がいる。彼女はノッポさんがかぶる帽子を深くかぶっており、下りの僕は何度すれ違っても彼女の鼻以上の部位は確認できない。彼女は帽子を深くかぶって顔を隠しているだけではない。Tシャツと長ズボン、トレッキングシューズといういでたちまでは普通であるが、腕に日焼けどめの白い布切れ(昔事務屋のおっさんがしていた黒い袖が汚れないようにするやつの白版)をつけている。アウトドアなことを自分から積極的にもとめているはずなのに、日焼けをひどく恐れている・・・。また、すれ違うときに私は挨拶するが、返って来るのは「蚊がなくような」か細い声。あきらかに返事をするのが面倒そう。もしくは、話しかけられたくないというオーラ噴出。僕はそれでも興味本位に「おはようございます」を投げかけ続けた。ほぼ、無視され続けても・・・。
 そんな孤高な女性は素敵だとおもった。僕は、彼女を孤高のダイエット美人と名づけた。顔隠し。日焼け防御。そして、早朝の人がすくないときのお隠れ登山。もしかして彼女は岐阜をベースに活躍する超有名モデル、タレント・・・。だれだろう~。・・・想像をたくましくしていた。そんな27-29回目の登山のとき、山頂で仲良く爺さんたちの輪に加わって歓談している彼女を発見。

 そうか、ねぇちゃん、はげ頭の俺がそんなに怖いかい?

30/30 達成!

9492716c.jpg有言実行。夜の八時半に家を出でた。最後の道は、昼間と同じ馬の背コース。
最後となるこの1往復は、一度もライトを使わないと決めていた。条件が厳しければ厳しいほど燃える自分。最後はもっともキツイ道を、もっとも過酷な条件で登って燃えて締めくくりたい。おかげで歩みは遅くなったが1時間で往復完了。

何がなんでもやらなければと、いつも何かに背中を押され
文字どうり、雨が降っても、太陽が沈んでも、雷がなっても、スズメバチがいても・・・。金華山に上り続けた2007年夏。もう、これで魔法は解かれた。明日から平穏で穏やかな毎日が始まる。

そして、この魔法が解かれたと同時に、僕の今年の猛烈に暑かった夏が終わったことにも気づいた。夜道の登山道をそよぐ風は、乾いた葉のこすれあう音で満たされ、秋の虫の合唱で埋め尽くされていた。やがてこの金華山の木々たちの葉は色づき、落ち葉するだろうが、それを踏みしめる僕の足音はきっとない。
明日から、僕の姿がなくなる金華山。だけれど、金華山にとってはそんなことは関係ない。これからも多くの人を受け入れ、季節を見送るだろう。

この登山道で、僕は体脂肪の落し物をだいぶした。代わりに筋肉をもらったこの夏。目標の達成と、夏の終わりで妙に感傷的になる今宵。2007年初秋。

29/30 達成

994c2266.jpg一時はどうなることかと思ったが、なんとか土日で残り4往復というところまできた。この残り4往復を二日でどう処理するか(確かに、9月10日(月)が最後期日ではあるが、以前いったようにバリウムを飲んで下剤を服用しているために、腹痛で満員電車にのるようにかなり危険な状態になるため、9月10日は除外する)。4÷2で各日 2往復ということも考えた。ところが、この2日間考えたが、どうもそれは私の美学に反する。これでは、ギリギリで見苦しい(実際はギリギリなのだが・・・)。やっぱりこれは余裕をもって涼しい顔で終わりを迎えたい。だから、今朝、3往復してきた。これで29/30を達成。あと1往復だ。
ひそかに、最後の1往復は象徴的な夜登山で締めくくろうと思っている。今晩、よなよな出かけて静かに閉じようと思う。

さて、土曜日の8時半ともなれば、多くの登山者がいる。平日の朝5時半とは大違いだ。

今日の3往復はすべて健脚コースの「馬の背」。

最初の1往復目。上のほうで、黄色い子供の声がする。言葉はハッキリ聞こえないが、どうやら「文句」を言っているようだ。さては、土曜日の朝、親子で登山かぁ~。とほのぼのとした気持ちになった。どんどん、その黄色い声に近づいていった。この急斜面、目の前の岩のみに目をやっていたら、視界に信じられないものが飛び込んできた。いわゆるサンダルである。なにぃ~。なめとんかコイツとおもい姿を見上げる。キティちゃんのスエット。青白く光るアイシャドウ。そして、先ほどの黄色い声。おーーー、これは年端もいかないヤンキー娘ではないか。どうやら二人のヤンキー娘を一人の兄ちゃんが(この兄ちゃんはちゃんと靴を履いていた)山につれてきているようだ。私は、何が彼女らを山に駆り立てたのかよくわからないが(たぶん、兄さんにだまされたのだろうとおもう)、例の「おはようございます」と言えば、3人から気持ちのよい返事が帰ってきた。がんばれ、ヤンキーィ!

さて、二往復目。また馬の背で登る。これは一番からだに負荷がかかる登山道。腿の筋肉を一番使う激しい道。こんなのが一日つづくような山だったら、これは参る。しかし、この登山道、きつくても20分も我慢していれば山頂にいけちゃうほどなので、この短いのを何往復もして筋力アップを計る。そして2往復目。残り10mのところで、またあの黄色い声に出くわした。もちろん、今回もとりあえず「おはようございます」。すると、すれ違いざまに「おはようございます」。しかし、2mも行き過ぎたところで、さきほどのキティちゃんが「あれぇ~、今の人・・・さっき・・・」。もちろん、時々、戦国落ち武者の出る金華山である。目を疑うことも多い。しかし、私は生身の人間。キツネにつままれた状態の娘を救うべく、振り返り「えへぇぇ、二往復目です」と声をかけた。彼女らから歓声があがった。たいしたことはない。照れるじゃないか・・・。でも、娘さん、サンダルでこの崖を降りようっていうことのほうが、驚きだよ。サンダル登山なんてぇーのは、尋常なことじゃないよ。そう声をかけたがったが、もちろん、そんな勇気ははない。

さて、三往復目。またまた馬の背で登る。いい加減に足が上がらなくなってくる。元気なころは筋力にに余裕があり、自然と足も必要以上に高く引き上げられるためか、つまづくことはない。しかし、例えば、30cmの石を登るとき、元気なときなら意識せずとも40cmくらい足が上がるのだろうが、疲れてくるとギリギリ30cmを狙うから結果的に29cmとなって、つまづく。そんなことがあり、足もふらふらだ。そんなフラフラではあるが、中盤にさしかかったとき、キティちゃんにあう。今登っている崖から、崖の上にいるキティちゃんを見上げると、キティちゃんは満面の笑顔で私を迎えてくれた。「あはぁはぁ、はやいですねぇ~~」「ええぇ、まぁ、今日の最後です(ほんとは夜もう一回登ろうとおもっているけど)」などと会話もはずみそうであったが、修験者の一人と他が認める私である、そんなコミュニケーションは修行の妨げ。もうひとりのキティちゃんの「すげぇぇぇーぇ」という感嘆の声に見送られながら、ふらつく足にムチ打って涼しい顔でキティちゃんたちが見えなくなるところまで駆け上がった。