ヒマラヤでの道中、僕らの食事はすべて専用に雇用したキッチンボーイがつくってくれる。どうも彼らはポーターとシェルパの間の役回りをする。さて、ネパール料理とはいったいなんだろう。
大学の同級生がネパールへ卒論のために3ヶ月ある村に滞在した。彼は言っていた。「あの人たち、毎日カレー。しかも想像を絶する辛さ。そして、毎日同じものばかり食べている」。まぁ僕らのヒマラヤ道中も毎日カレーだろうとおもった。そしてそんなカレーの作り方を覚えて「カレー仙人」(私のブログに登場している)に自慢しようと思ったが、約二週間のトレッキング中カレーらしいものがでてきた覚えはあまりない。
カトマンズでは、いろんなものを食べた。うまかった。「モモ」という餃子に近い食べ物、「スプリングロール」の春巻き、もちろんカレー・・・。さて、料理専門のキッチンボーイは何を食べさせてくれるのだろう。期待して望んだ彼らの始めての料理。でたー待望の「ガーリック・スープ」(写真)。カトマンズでネパール人に聞いた「高山病予防にいい」といわれているスープ。初めて口にしたときの感想。「うまい!」。
たしかに、うまい。でも毎日でてくるそのスープ。味がいつも違う。アバウトなのか、それとも微妙に変えているのか・・・?そんなスープの作り方を聞いてみた。材料はいたって簡単。すりつぶした「にんにく」に「塩」、少量の「ミルク(たぶん脱脂粉乳)」それだけだ。けれど、うまい。・・・けれど・・・。
こんなことがあった。日本から持っていった、ラーメン、そば、うどん。トレッキングも半ばになり、そろそろネパール料理も飽きてきたころ(私は飽きていないが)、彼らにその麺類を渡した。すると器用に、ラーメンも、うどんも、そばもつくってきた。ところが、麺は日本の麺そのものだが、彼らは、スープに「すりつぶしたにんにく」をいれ、全て「ガーリックスープ」風に仕上げる。こうなると・・・。うーーーん。これって、ラーメンなの?ソバなの?うどんなの?となる。
ガーリックスープ以外に、印象に残った食べ物は、チャパティ(小麦を焼いたパンみたいなもの(パンほどうまくはない))、ダルバート(カレー風煮込み野菜と豆の汁などがセットになったもの)。などなど。
いつも残るほど作ってくれた。かといって、シェルパはわれわれと一緒に食事をするが(それでもシェルパも給仕を手伝っていた)、ポーターやキッチンボーイらと僕らは一緒に食事するのではない。ポーター、キッチンボーイは外で粗食とのことだった。
キッチンボーイの仕事は、① モーニングティー。あさ「ティー」「ティー」とロッジの個室の前で声をかけ、僕らが扉を開けるとベッド(といっても板張りのベッドに敷布団があり、その上で寝袋で寝ている)まで、紅茶を運んできてくれる。②紅茶が終わると、顔を洗うため洗面器にお湯をいれて部屋の前の廊下においてくれる。こんなことがあった。トレッキング初めての朝、彼らが洗面器を置いていった。同室のF先生が廊下で洗面器のお湯をつかい顔を洗っていた。そして寝袋から出た私も廊下にでた。ちょっと躊躇したが、郷にいらずんば郷にしたがえ、洗面器が1つしかなかったので、F先生が顔を洗った洗面器で顔を洗った。よかった、年長者よりも先に顔を洗わなくて・・・。僕が先に顔をあらったらF先生、しかも僕にとってこの調査のスポーンサーに、僕がつかったお湯で顔を洗わす羽目にならなくて。しかし、これはちょっと屈辱だった。
たまらず、「先生、先生のつかったお湯で顔を洗わせていただきました」と報告すると、彼は「キョトン。・・・。ワハハハ、ヒィヒィヒィ・・・。ドアをはさんで反対側にもう一個洗面器あるだろう」。確かにあった。誰も使わなかったきれいなお湯が・・・。
さて、話はキッチンボーイの仕事。③朝食。僕らが部屋で寝袋を片付けたりリュックの荷物を整理していたりすると、キッチンボーイが廊下を「スープ・レディ」といいながらあるく。スープができたよ~と教えてくれる。朝飯の始まりだ。④ 移動中も彼らは私たちの先回りをし、昼飯前に ⑤ティータイム。 ⑥昼飯、⑤ティータイム、⑥晩飯、これらが彼らの仕事だ。
イムジャ湖(調査対象地)のベースキャンプでは、なぜか朝はいつも外で朝食。気温は氷点下20度だ。割と寒い・・・。けれど、キッチンボーイはわれわれよりも先に早くおき、いつもどおり紅茶をいれ、洗面器にお湯を入れ、朝食を出してくれる。ちなみに、ベースキャンプで出される料理は全て、氷河湖の泥水(割とうまかった)を使ってのものだ。
そんな、トレッキングも2週間くらいで終わり、ナムチェバザールのちかくにある「クムジュン」という村でキッチンボーイたちとはお別れだ。写真は最後のティータイム。こんな大きなヤカンで紅茶やジュース(レモンやオレンジの粉末をお湯で溶いたもの)を「もういい」というまで注ぎ続けてくれる。温かい、オレンジジュースやレモンジュースは割りとうまかった。
ちなみにこのクムジュン、ただの町かとおもったら違っていた。シェルパの町。しかも、日本山岳会が最初のエベレスト遠征に来た前年、植村直己がこのクムジュンで気象観測をしながら、毎日、エベレストの見える丘まで登山靴をはいてジョギングしていたところ。「青春を山に駆けて」や「植村直己物語」で、僕の頭のなかに強烈に焼きついているシーンの場所。確かに、クムジュンから丘に登るとエベレストが見えた!しかし、こんなところをジョギングするなんて、考えられない。近所の子供はサッカーをしていたり、鬼ごっこして駆けているから体が慣れればジョギングできるのだろうけど、よっぽど高地で住まないことにはジョギングなんてとても、とても・・・。
お久しぶりです。なかなかよろしい体験をしたようで。
ガーリックスープカレーでも作ります。
では来年の夏までに、私も一品提供できるよう情報収集につとめます。