ナラ枯れ

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昨年から特に、この職場周辺でも、ナラの樹が枯れ始めた。カシノナガキクイムシという虫の仕業らしいが、北の標高の高いところから、いまどんどん低いところに降りてきているらしい。まさに職場の目の前が最前線。ギラギラする太陽の下、赤茶けた枯れ木。ちょっと異様な世界だ。

しかし、10年も20年もして、ナラが根絶してしまえば、また静寂の緑の森。枯れるというのは1つの現象で、その現象の根底にはなにか原因がある。その原因が人間の力でどうしようもならないなら、あとは時間に解決してもらおう。枯れるのが目に付かなくなるまで、枯れまくってもらうしかない。枯れた、枯れたと騒ぐのは、自然の流れに逆行している。いまは、「あーぁ、枯れてる」そんなところだ。

3 thoughts on “ナラ枯れ

  1. lee

    自然の流れをおかしな方向に向けてるのは、人間じゃないの?その人間の存在自体が自然の範疇なら自然の流れだけどねぇ。
    僕は人間の存在自体が悪のような気がしますが。

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  2. takejima

    こんにちは。
    ここで表現したかったのは、去っていく流れの”ある自然状態”に対して、保守魂で、なんとか人とお金を投じて現状維持をしようと努力しているけど(多くの政策や自然保護なんかがそうだよね)、そんなことはしないで、ある自然状態がなくなってしまえば、ないのが自然となるのだから、いっときの保守魂であくせずせず、時間に任せたほうがいいんでは?そんなことを表現したかったです。
    とかく、人は自分の生きている範囲でしか物事を解釈できなく、あれこれいうけれど、自分の生きている中では大きな変化でも、地球の歴史いけば、その大きな変化も小さな揺らぎでしかないよね。

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  3. lee

    takejimaさんの言ってる事は広い意味では同じ考え方だね。
    僕は人間の文明の進化は自然に対する挑戦又は冒涜だと思うのね。
    人間という生き物は恐ろしく欲深い。
    自然ってのは神だから、人間が勝てる訳ない。
    人間が自然を欲望の為に破壊して、結果自分達が滅びる。人間が消えれば、自然は自浄能力で元に戻る。
    長い地球の生命の途中では、人間の存在してた時間も鼻くそみたいなものでしょ。恐竜の時代と同じじゃないかなぁ。
    科学的根拠はよく知らないけど、そう思えて仕方ない。

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