ニュー・カマー

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今日、家にニュー・カマーがやってきた。オーディオだ。
連載を始めてから、ときどき思いつくアイデアを書き留めたり、録音したりしようとiPodを購入して以来考えてきた。
私はヘッドフォーンというかイヤホーオンは苦手だ。慣れていない。だから、耳に違和感を感じてしょうがない。
iPodを使うようになって、虫の声・潮騒のざわめき・鳥の声・カエルの声・・・などのBGMを無料で利用できるアプリケーションを知った。潮騒のざわめきを聞きながら仕事をしたい!耳の違和感を感じることなく!

そこでiPodドックというのを探していた。値段は1万以下からある。しかし・・・、まぁせっかくだから(オーディオは弟からいらなくなったものをもらったり、兄貴の形見を利用していたりと自分で選んだことはない)検討しようと半年、なやんだ。その結果、BOSEのオーディをゲットすることにした。
iPodあり、CDあり、ラジオありだからだ。
そして私が選んだ機種の素敵なのはパソコンの音源を無線で飛ばし、BOSEで音を出せることだ。これにより、youtubeで検索した大型バイクのエンジン音をBOSEで聞ける。またPCで昔の歌謡曲をBOSEで聞ける。

そして今は、iTunesのclassicのPiano Music 番組でピアノを聞きながらブログを書いている。

ほんとうーに技術は進歩しているのだなぁ。便利・便利。

これで朝、6時からのFM NHKのClassicもご機嫌に勉強部屋で聞ける!!!

原稿が進むかなぁ?
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4 thoughts on “ニュー・カマー

  1. takejima

    語るほど熱をいれていないけれど
    ①感情があまり入っていないピアノ
    ②感情があまり入っていないギター
    ③感情が入っていても大丈夫なチェロ
    が好きみたいです。
    他ごとをやるための潤滑油として音楽を活用するので。
    今度お会いしたとき、ぜひ語りましょう。

    返信
  2. lee

    感情の入ってない演奏なんてないぜ。
    力が入ってない位じゃないの?

    返信
  3. takejima

    leeさん、ナイスなコメントありがとうございます。
    言われてみると、確かに感情ではないねぇ。
    かといって力というのもちょっと違う感じがする。そこで改めて考えてみました。こんな感じなのかな?
    演奏中に、調子が変わる(音量が変わる・リズムが変わる)と、そちらに気がとられて耳障りになるので、それがないほうがいいということを表現したいのだけど・・・。
    しかし、そうするとプレイヤーや作曲家はなぜ、調子を変えるのだろう。何かの現象を抽象化してそれを音楽で表現しようとするから?じゃ調子の変わらない曲は、何も表現してないのか?いやそうじゃない、何かを表現している。
    違いは・・・?
    同じ自然を表現するでも、「これが自然だ!これが人生だ!」と音楽単独で主張するのではなく、自然や人生の現象にそのまま溶け込み調和して、目の前の現象から、主導権を音楽が奪おうとしていないものが、いいと感じるみたい。
    ということで、今のところは「単独主張志向」と「溶け込む志向」の違いでは?と思い至っています。
    ミュージシャンのleeさんと語ることで、自分自身の好みが定義できるようになるといいなぁと思いました。ぜひ、語りましょう。

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