この二週間は随分移動につぐ、移動をした。
私は、インプット(学び)とアウトプット(講演や発表)のうち明らかに「インプット」が好きだ。だから、何か「知りたいこと」「解決したいこと」を設定して、そのための計画をたて、立てた計画を黙々とすすめる(インプットする)タイプ。それが性(しょう)にあっている。しかも、インプットは外からの刺激で”ヒラメク”インプットではなく”一歩ずつ階段を登り徐々に視界がひらけてくる”インプットだ。私の性格上、それは毎日が規則正しい生活でなければ、腰を落ち着けて黙々とこなすことができない。だから、こんな出張続きなのは得意ではない。ほんの一瞬のアウトプットのためにこうも多くの時間を移動にかけていると、ちょっと困ってしまう。一番良いのは、毎日同じ時間に起き、同じ時間に出勤し、同じ時間に帰り、同じ時間に寝る。これなら、計画も立てやすい。予測不能な出来事が舞い込むのは心穏やかではなくなっちゃう。
さて、今回、新しい境地を発見。もっとも当たり前なのだが・・・。
昨日の夜、用事が終わり、松山駅についたのはよる6時40分。スマートフォンで路線を検索し、乗り継ぎの時間を見た。すると7時に松山駅を出れば、22時30分くらいには岐阜駅に着く。ほー、案外早いなぁと思って詳細をみれば、空路の話。私はあんな不自然な乗り物であるヒコーキは怖い。揺れるたびにドキドキする。だから、地面がつながっているならなるべく地面を移動したい。
そこで再度、空路を使わぬ設定にして、再検索。そこで驚いた。その日の内に岐阜にはつかない。新大阪までしかその日の内にいどうできない。
私は、出張はなるべく次の日の朝から、また新しい一日を迎えたいので、どんなに遅くなってもできるなら帰宅したい。新大阪でとまれば、次の日のあさ、移動で半日潰れてしまう。
そこで、意を決した。よし!ヒコーキで帰ろう!!
ヒコーキに不慣れな私の認識では、駅で切符を買うようには飛行チケットは買えないと思い込んでいる。だから、路線でしらべた航空会社をスマートフォンで検索し、空席を調べ、あればチケットを買おうと思った。
空席あり。よし、チケットを買おう!
とおもいきや・・・、空席確認し、予約をいれようとした。しかし、画面のどこから予約するのか分からない。しかも、スマートフォンの反応が鈍い(これが私の最近の大きな不満。ボタンをおしても反応が帰ってくるのに時間がかかる。そーゆーものかと諦めているが・・・)。だから、「ここぞ!」と思うものを何回も押してみたが、反応がない・・・。なんでだろう。
そこで、松山駅から松山空港に向かう途中のバスの中でパソコンを立ち上げ、ネットに接続し、航空会社を検索し、予約を入れようとした。しかし・・・。どうやら、その予約画面は航空会社のオリジナルのホームページではないようで、出発1時間まえのチケットでは「便がありません」と出てきた。焦る焦る・・・。空港までバスで着いた挙句に、チケットがかえなければ、私は松山空港で宿泊となる。
そこで、また反応の鈍いスマートフォンに切り替え、「会員登録」しないといけないことに気付き、揺れる車内で入力間違いを繰り返しながら、会員登録をして、空席確認をして、予約をしようとしたが、やっぱり予約ボタンは、どれだか分からない。そこで、さっきと同じように「?」と思うリンクを何回かクリックした。しかし、画面は動かない。
よくわかないまま、何回もあっち、こっちを触っていたら、決済画面に行き着き、なんとかチケットを購入できた。ふー、空港に付く前にチケットが買えた。
喜び勇んで、出発30分前の搭乗手続きカウンターに滑りこむ。
「さっき予約した竹島です」
「あのぉー、14席予約してありますが、14席でよろしいですか?」
うぎゃぁーーー!!何それ。あのポチポチなんかいもクリックしていたので予約が入ったとしか思えないが・・・。14✕23000円を考えたが、どうやら13席を取り消していただけ事無きをえる。
スマートフォンの調子がわるいのか、俺の調子がわるいのか・・・。まぁ後者だろうなぁ・・・。
さて、盲点だったが、ヒコーキはやっぱり早いなぁ。これなら不定期な出張がはいっても時間の調整がしやすいかも?怖いのと、便利なのとのシーソーゲームむむむむぅ。
これから、もう少しヒコーキを活用することを考えてみよう!
スマホ、なかなか苦戦されているようですね。道具ですからね・・。
さて、ここに書き込んでいいやらどうやら・・ですが、ちょっとだけ失礼します。
イオンやヨーカドーのような規模の追求が今までも、そしてこれからもモノを言うような企業と、父ちゃん母ちゃんでやっている街角のお店とは生き方が違います。それぞれがそれぞれの生き方の中でしか企業を存続させていけない。どんな人がどんな想いで商売しているか?同じものでも、あの父ちゃん母ちゃんから買いたいなぁって思ってもらうこと、どうやってお客さんと「仲良くなるか」を考えるところに、ちっこいお店の生きる道があると確信しています。最近、農業をしている方とお話しすることが多く、いいモノを作っていさえすれば売れるに違いない!でもなぜか儲からない。うちはこだわっているんだけどなぁ・・。と仰る農家のじいちゃん・ばあちゃん。よくよく聞いてみると、小さい農家は小さい農家的な生き方があるのに、つい大規模農家のようなまねっこをしている。違うんだよ・・、その生き方では、大規模農家に埋没してしまい、みなさんみたいな小さい農家はなくなっちゃうんだよ・・っては思っています。農業も企業一緒だ、と思っていた矢先、先生が林業の経営について書いているのを拝読。一般企業・農業・林業では、取り巻く環境やら状況が大きく違うんだけれど、それにしても、経営という面で考えれば、そんなに大きく違わないんじゃないか?と思ってちょっと嬉しい?!気がして・・・、長々書き込んでしまいました。
コレ、間違ってるかなぁ・・?
春風接人さん こんにちは。その書きっぷりだと、私がの昨夜のフェイスブックを読まれてのことかな?
「一般企業・農業・林業では、取り巻く環境やら状況が大きく違うんだけれど、それにしても、経営という面で考えれば、そんなに大きく違わないんじゃないか?」のご意見の意図が私の中で理解できていないのですが、「小さい農家は小さい農家で生き方があるのに・・・」までは、まったくそのとおりだと思います。
ちなみに、業種によっていろいろ経営が大きく違うように思ってはいます。私の意見はこうです。
一次産業は生産性を上げるとき「土地」「太陽」などに制約されます。二次産業は生産性を上げる時には「労働時間の延長(3交代制)」「工場増設」によって生産性をあげることができます。3産業はマネーゲームなので∞です。
一般的に農林水産業と工業、サービス業としてわけられますが、農林水産業ではなく、(農水)と(林業・工業)というくくりのほうが自然だと思っています。1月26日のブログ(一日一合)のコメントの中で私の考えを披露していますので、ご参考いただければ幸いです。農水は製品を作ります。林業は製品をつくることもありますが、もっぱら工業製品の素材を作っています。
いろいろ、他にもありますが、きりがないので、今日はこのあたりで止めておきます。
時間と場所を指定していただければ、いつでも出稽古に伺いますので、是非、私の考えを聞いていただければと思います。人と話すことで考えが整理できますから・・・。どうぞよろしくお願いします。
先生、こんばんは。
1月6日のコメントも拝読しました。読む側の知識不足にて大変申し訳ないのですが、そっかそっか!と腑に落ちる理解ができなくて・・。ゴメンナサイ。
うん十年、農林水産業って一括りのようなイメージ(しかもただのイメージ!)の中にいて、今はマネーゲームに飲まれる業界で仕事や生活をしているので、先生のご意見がすんなり腑には落ちないけれど、そういう考え方ってあるのね~、って新しい発見がありました。(せっかくなので、腑には落ちないけれど、新しい発見!っていうこのもやもや感を・・スッキリしたいなぁ。。。どうしたらいいんだろう。)
それにしてもうっすら感じたことは、どの業種も大きく違わない!?と、私が思っていたのは、≪販売≫、それもできるかぎり消費者に近い立場で、というような超一点に視点を落とした時に限るような気がしてきました。
農業や林業なら、どこにでもあるありきたりの商品ではないものを自分で生み出すことができるし、生産者の想いを届けることも十分できるだろう、想い=価値が伝えられれば、価格を落とすこともない。こんなにいい強みがある。
イイ物を作っているんだけど、とにかく儲からない・・家業だけど子供には継がせれらない、っていう嘆きも解消されていくんじゃないか。生産するだけじゃなくて、販売することまで考える「商人」になれれば・・って思っていたんですね。
あ、またこれも、ちょっと薄考すぎますかね・・素人の。
先生の出稽古をお受けするには、もうちょっと勉強しなくちゃね!
春風接人さん おはようございます。
春風接人さんの立ち位置と問題意識を私がはっきり捉えていれば、もうすこし私の説明もご丁寧にできると思いますので、いつでもどうぞ。
私の日々の酔狂話ですが、春風接人さんのなにかお役に立つことがあれば幸いです。
春風接人さん すいません。いま気になったことをお尋ねします。
想い=価値
ってありますが
想いの主体は生産者であり
価値の主体は消費者なので
想いと価値がイコールというのではない気がしますが・・・。
想いを「伝えられて」始めて消費者にとって価値をもたらせ、「伝えられなければ」、いくら生産者がガンバッテも価値は見出されないですよね。
そこで、伝える方法として、顔の見える農業を実践しても正解でしょうし、消費者の見える農業を実践しても正解で、それは、経営規模によって最適解が違うと思います。顔の見える農業のほうが、消費者の見える農業よりも規模場大きな農業にとって最適なのではないかと思いました。
以上、ちょっと気になったことでした。
先生、こんにちは。先生のおっしゃる通りですね、想いの主体は生産者であり価値の主体は消費者なので、=ではない、確かにそうですね。モノの対価が適正かどうかを決めるのは消費者ですもんね。ヨシと思えば買っていただけるだろうし。
生産者に想いがあってモノを作り、それを共感してくれる人が買ってくれる。そこには価格以外の価値が大きくあると思うんです。っていうか、そういうものが大きくあって貰いたいと思っているんです。想いを共感してくれる消費者、納得してくれる消費者と仲良くなる、価格以外の価値を共有することができる。だから、私の中では、価値=想いと一致するんじゃないのかな?と思っていたんです。(こういう考え方は、もしかしたらとっても女性的な考え方かもしれんですね、感覚的。男性的には、もうちょっと・・、理論的というか何というか・・たとえば、スペック的な部分?で価値を決めることが重要かもしれんですね。)大規模ではない経営をしている方は、価格以外のモノに対価を払ってくださる人たちが集まるコミュニティ的なものを比較的作り易く、それが発展していけば、うまくマネジメントできれば、地域の中で地域の課題が解決できるようになるんじゃないのか?その事業所が地域の中で重要な位置にあれば、地域の中で事業を続けられることになるし(利益も絶対ついてくるし)、価値や誇りを見いだせれば、倅には継がせれらない・・市役所かトヨタ系にでも勤めてくれたら・・っていう、本心とは思えないじいちゃんの発言も減るんじゃないんかなぁ。。って思うんです。(・・あまりに理想論すぎるけれど)ちっちゃくても持続可能な事業・・これがいいなって。
・・って言いながら、私はサラリーマン。偉そうなことを思いながら、言いながら、自分で実践してないことが自信のなさ、説得力のなさ。自分のできることは何だろう、自分のサラリーを貰うことを自分で許せるために何ができる? そう思いながらいつもグチャグチャモヤモヤ考えています。今いる位置とは別のところにヒントはあるんじゃないか?とか思いながら、あちこち別のところから今の自分を見たい訳です。
おかしなところに話が飛んでいっちゃいましたが、ワタシの酔ったような質問に、真摯に答えてくれてありがとう。
春風接人さん、 おはようおございます。農業を語るにはすごい時間まで起きているのですね・・・。
このへんにしておきますが・・・。
「大規模ではない経営をしている方は、・・・コミュニティ的なものを比較的作り易く」ここまでは全く、同感です。その後が・・・、私の感覚とちょっとずれているかな。その文章の最後を「地域の中で地域の課題が解決」と結んでおられますが、地域の課題は、地域の中の人が見ているものと、地域の外の人が見ているものとは別物だと私は思っています。ですから、コミュニティーは作りやすいけど、それが直接地域の問題解決には結びつくわけではないと思います。もしも、地域の問題が「生産者のモチベーション不足(自分・後継者問題)」だとするなら、それは爺さんたちに農業を続けさせたい第三者からすると、問題かもしれませんが、爺さん達の全てにとって、農業がうまくいく=自分の問題解決とはならないように思います。
だから、その文章の間には、もう1つ条件設定が必要に思いました。
この手の問題へのアプローチは、”治療””延命””ホスピタリティー(穏やかに看取る)”があると思います。第三者の立場からすると全ては”治療”に焦点が生きやすいとおもいます。ですが、そこに集う爺さんたちの思いが、商売したい、毎日する仕事があればそれでいい、穏やかに閉じたいと思っている人たちとバラバラにいるときに、強引な治療無理強いすれば、地域には(ただでさえ、近所から孤立することを嫌う田舎では)新たな問題が出てきてしまうように思います(不本意なことをしないとに巻き込まれる)。
ちっちゃくても持続可能な事業、これはいいですよね。農業の場合、そこで苦しいのが「品質の維持」だともいますが(年によってばらつく楽しみも又付加価値の1つではありますが、一般論でいえば)、これまた1年のサイクルで難しいですね。それを乗り切る覚悟があるちっちゃな生産者は、そこに自分が生きる道があり、それが地域に拡大するには、もう1つなにか重要なことがあるように思いました。
一方で、私は食の安全保証状、国内で国際競争力をもった大規模農家の台頭にも期待しています。
ところで、サラリーマンというか、専業従事していない者から視る視点は大事だと思います。そう卑下することはないと思います。正解は誰もしれないわけですから、自分の意見が絶対ではないにしろ、第三者のことばが専業従事者の琴線に触れるヒントを投げかけることだってあると思います。